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マニー・ラミレスから見た四死球
前年に引き続き主に4番打者として出場したが、3番オルティーズが54本塁打、長打率.636という成績だったこと、また5番にそれほどの打者がいなかったことで、彼の打席はオルティーズの一発で走者がいないか、走者がいても一塁が空いていれば四球で歩かされることが多く、彼にしては打点数が伸びず、一方で出塁率はトラビス・ハフナーと並ぶメジャートップの.439、四死球も少ない出場試合数で自己最多の100に上った。オフにはやはりトレード騒動が持ち上がった。チームが松坂大輔取得にあたって要する多額の資金を、ラミレス放出で埋め合わせするのではないかとの憶測のもと、ドジャースやジャイアンツなど具体的な球団名とともに盛んに報道されたが、12月に入り、結局残留の方向で落ち着いた。(マニー・ラミレス フレッシュアイペディアより)
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マニー・ラミレスから見たドレッドロックス
2008年7月31日にパイレーツを加えた三角トレードでドジャースへの電撃移籍が発表された。このトレードではレッドソックスはパイレーツからジェイソン・ベイを、パイレーツはレッドソックス、ドジャースから若手選手4人を獲得した。それまでつけていた背番号24はドジャースではウォルター・オルストンの永久欠番となっており、フェルナンド・バレンズエラ以降着用者がいなかった34で一度合意したが、最終的には99となった。またレッドソックス時代のトレードマークだったドレッドロックスは監督のジョー・トーリとの会談で切ることになった。(マニー・ラミレス フレッシュアイペディアより)
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マニー・ラミレスから見たロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム
ボストンの地元マスコミとの間で歪曲された報道が多かったということもあり、2005年から地元のマスコミに対して一切コメントしなくなったが、2007年10月6日のアメリカンリーグディビジョンシリーズ第2戦(対ロサンゼルス・エンゼルス戦)でサヨナラ3ランホームランを打ったときには、その沈黙を破りインタビューで喜びを爆発させた。その後も、リーグチャンピオンシリーズやワールドシリーズでもインタビューに答え、2008年以後もインタビューに応じている。(マニー・ラミレス フレッシュアイペディアより)
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マニー・ラミレスから見た右翼手
にインディアンスの外野の定位置を確保(右翼)し137試合に出場。5月には打率.394、11本塁打、27打点、8二塁打の成績で初の月間MVPを獲得。8月4日のホワイトソックス戦では自身初の満塁本塁打を記録。また、監督推薦による初のオールスター出場を果たし、チームのワールドシリーズ進出にも貢献した(自身初のワールドシリーズでは本塁打も記録したが、ブレーブスに2勝4敗で敗退)。レギュラー・シーズンの成績は打率.308、31HR、107打点でシルバースラッガー賞を初受賞。因みに、23歳以下で30本塁打・100打点を記録した選手は大リーグ史上25人目(チーム史上2人目)、アルバート・ベルと共に放った本塁打の合計81本はコンビ合計本塁打のチーム歴代新記録である。また、チームと2000年シーズンまで4年の延長契約を結んでいる。(マニー・ラミレス フレッシュアイペディアより)
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マニー・ラミレスから見た2013 ワールド・ベースボール・クラシック
2月、台湾・義大ライノズとの契約に口頭で合意したと報じられたが、3月7日までMLBとの球団と契約できなければ義大でプレーするという条件付きであった。12日、義大と推定年俸30万ドル(約2880万円)で正式契約を交わした。義大の主催試合を中心に、ラミレスの出場試合には大勢の観客が集まり、第3回WBC以降の台湾プロ野球の観客動員数増加に貢献したが、6月19日、家族と離れて長くプレーすることはできないとの理由で退団を表明した。(マニー・ラミレス フレッシュアイペディアより)
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マニー・ラミレスから見た首位打者
5月11日のマリナーズ戦で、3回に味方のヒットで二塁から一気にホームへ突入するが、ヘッドスライディングの際に手の指を骨折した。結局、故障者リスト入りしてしまうと39試合の欠場を余儀なくされ、復帰後も不調で打率を.310まで下げた。しかし夏場には本来の調子を取り戻し8月の月間打率は.373、とくに8月13日からシーズン最終戦までの44試合では打率.414を記録し、シーズン通算で打率.349を記録し初のア・リーグ首位打者を獲得する。更に119試合の出場にとどまりながらア・リーグ9位となる33本塁打、打点は107で5度目のシルバースラッガー賞を獲得し、MVP投票でも9位につけた。また、この年6度目のオールスター出場も果たしている(4年連続となるファン選出)。(マニー・ラミレス フレッシュアイペディアより)
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マニー・ラミレスから見た2008年のMLBオールスターゲーム
MLBオールスターゲーム選出 12回:1995年、1998年 - 2008年(そのうち1999年 - 2005年、2008年の8回は先発。2006年は外野手最多得票で選出されるも負傷により出場は辞退)(マニー・ラミレス フレッシュアイペディアより)