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CHIKA (ヘアーメイクアップアーティスト)から見たマンダム
東京モード学園、大阪モード学園、名古屋モード学園、山野美容芸術短期大学、GAMOテクニカルセミナー、ホーユーテクニカルセミナー、ミルボンテクニカルサミナー、ピアセラボテクニカルセミナー、マンダムテクニカルセミナー、PREPPY上海テクニカルセミナー(CHIKA (ヘアーメイクアップアーティスト) フレッシュアイペディアより)
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GIRL TALK/the SPEED STARから見たマンダム
2曲共に自身がイメージキャラクターに選ばれ出演したマンダム「LUCIDO-L」シリーズのCMソング。(GIRL TALK/the SPEED STAR フレッシュアイペディアより)
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チャールズ・ブロンソンから見たマンダム
日本では、1970年に男性用化粧品メーカー「丹頂」の化粧品「マンダム」のテレビCM(大林宣彦演出)に出演し、一世を風靡した。撮影費は2000万円、ブロンソンへのギャラは3万ドル(約1000万円)であった。彼の起用を提案したのは、キャンペーンを担当した電通の西谷尚雄で、西谷はかねてから『大脱走』や『さらば友よ』などで個性的な脇役として存在感を示していたブロンソンに着目していた。男性用化粧品のCMといえばたくましいイメージからほど遠いヤサ男を起用して中性的な清潔感を打ち出すものが多かった中で、野性的な風貌のブロンソンを起用して泥臭いまでの男らしさを前面に押し出したのは逆転の発想であった。当初、キャンペーンに当たったスタッフは周囲から猛批判を受けたという。(チャールズ・ブロンソン フレッシュアイペディアより)
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SO CRAZY/Comeから見たマンダム
「think of me/no more tears」以来の両A面シングルであり、「SO CRAZY」はマンダム「LUCIDO-L・PRISM MAGIC HAIR COLOR」CMソング、「Come」はよみうりテレビ・日本テレビ系アニメ「犬夜叉」の第7期エンディング・テーマという大型タイアップ付きである。(SO CRAZY/Come フレッシュアイペディアより)
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大林宣彦から見たマンダム
高度経済成長の波に乗り、急成長したCM業界で、一日一本のペースでCMを作り続け「CM界の巨匠」の異名を執る。大林の手がけたCMは、日本で初めてハリウッドスターを起用し、あまりのヒットに社名を変更したチャールズ・ブロンソンの「マンダム」、本作は男性に香りを着けさせようという、これまでの日本にない新しいライフ・スタイルの導入・定着に貢献した。この他、ラッタッタのかけ声で話題を呼んだ「ホンダ・ロードパル」のソフィア・ローレン、「カネカ・フォンテーヌ」「ラックス化粧品」のカトリーヌ・ドヌーヴ、「フォンテーヌ」のCMソングにはフランシス・レイを起用した。「レナウン・シンプルライフ」のリンゴ・スター、「AGF・マキシムコーヒー」のカーク・ダグラス、マンダム・フーズフーのデヴィッド・ニーヴン、キャサリン・ヘプバーン、アイススケートのジャネット・リン(カルピス)などの起用で、今日に続く海外スター起用のCMの先駆けとなった。海外スターの起用、海外ロケ、映画のような特撮の導入などは、それまでの日本のCMにない画期的なものであった。当時はまだ日本映画がアメリカと合作するなんて考えられもしなかった時代、「CMならハリウッドスターを使えるぞ」という"アメリカ映画ごっこ"のようなもの、企業のお金を使った大林個人の夢の実現であったという。CM撮影での初の渡米は1966年、電通社長の指示で大林を含めたスタッフ4人で行ったという。チャールズ・ブロンソンのマンダム起用の経緯は、当時の丹頂の社長が、若き大林に仕事を任せるにあたり、大林夫婦を食事に招待したおり、ごく自然に夫人にサラダを取り分ける大林に感銘を受け、「この人物ならわが社の広告を任せていい」と決心したといわれ、トップの心を掴んだ大林は思い通りに仕事を進め、「どうして売れないブロンソンなど使うのだ」と渋るハリウッドのエージェントの反対を押し切り、チャールズ・ブロンソンでCMを完成させたといわれる。オイルショック前の1970年初頭はほとんど海外ロケで、1年のうち10ヶ月以上海外生活だった。日本のCMでは、東陶機器(TOTO)のホーローバスのCMで高沢順子に言わせて流行語になった「お魚になったワ・タ・シ」は、コピーライターという職業が無い時代に大林が考えたコピーである。『さびしんぼう』を気に入られた黒澤明から、1989年CM演出を指名され、NEC「オフィスプロセッサ」「夢にわがままです」を手掛け、CM出演した黒澤に初めてサングラスを外させた。これが縁で1990年、黒澤監督の『夢』のメイキングビデオ(『映画の肖像 黒澤明 大林宣彦 映画的対話』)を撮った。この他、山口百恵・三浦友和コンビの「グリコアーモンドチョコレート」、高峰三枝子・上原謙の「国鉄フルムーン」、森繁久弥の「国鉄新幹線」、遠藤周作の「日立ヘアカーラ」、山村聰の「トヨタ・クラウン」、若尾文子の「ナショナル浄水器」、「レナウン・ワンサカ娘」、長門裕之・南田洋子の「カルピス」など、10年間で製作したテレビCMは2000本を越え、国際CM賞も受賞。テレビCMを新しい映像表現として確立、画期的な映像表現で、日本のテレビCMを飛躍的に進化させた。アメリカでのCM撮影の際に、アンダーグラウンド映画のスタッフと親しくなり、『イージー・ライダー』の編集にも大林は関わっているという。2013年、小林亜星らと共に全日本シーエム放送連盟(ACC)第3回「クリエイターズ殿堂」入り。(大林宣彦 フレッシュアイペディアより)
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