
会田龍雄から見たメダカ
島津製作所初代社長・島津源蔵の援助によって、京都の自宅の庭に水槽などの実験用設備を整え、メダカの色素の遺伝について精密な交配実験を行った。高等工芸には1週間に1日出勤すればよかったので、自宅でのびのびと研究することができたという。シロメダカの体色が限性遺伝という遺伝様式に従うことを発見し、Y染色体には遺伝子が含まれていない、とした当時の常識をくつがえした。実験結果は、日本の学会には発表せず、アメリカの専門学術雑誌に直接発表した。メダカを実験材料とした遺伝学について、その他にも多くの業績をあげ、1932年帝国学士院賞。(会田龍雄 フレッシュアイペディアより)