-
ヤマハ発動機から見たヤマハ・OX99-11
1992年(平成4年)はジョーダンへOX99を供給するが、クーリングに問題が出るなどシャーシとのマッチングが上手く行かずに最終戦でようやく1ポイントを獲得するのみと、前年と同様に成績はふるわなかった。またシーズン途中からジャッドと提携を開始した。また同エンジンを搭載した市販予定スポーツカー、OX99-11を発表するものの、市販の実現には至らなかった。(ヤマハ発動機 フレッシュアイペディアより)
-
-
ヤマハ発動機から見た音叉
飛行機プロペラなどの軍需生産のための製造設備の平和利用を目的とし、日本楽器製造(現ヤマハ)社内でのオートバイ生産を開始、1955年(昭和30年)7月1日に日本楽器製造から分離される形で、オートバイ製造販売業としてスタートした。この関係でヤマハと同様の「YAMAHA」ロゴや、円の中に音叉が3つ組み合わさったマークを使っているが、どちらも2社で細部の違いがある。ロゴに使用されている各文字のアルファベットの形がおのおの左右非対称なのがヤマハ、左右対称なのがヤマハ発動機、また、"M"の真ん中の谷の部分が地面についていないものがヤマハ、地面についているものがヤマハ発動機である。音叉マークは、音叉の持ち手が周りの円より内側に入っているものがヤマハ、持ち手が円に被り、マーク全体に立体感が付けられたものがヤマハ発動機である。これにより、どちらの製品かを見分けることが可能である。(ヤマハ発動機 フレッシュアイペディアより)
-
ヤマハ発動機から見た全日本F2選手権
1985年(昭和60年)には全日本F2選手権にV6エンジンのOX66で参戦した。吸気バルブ3本、排気バルブ2本を備えた5バルブシステムを採用する。1987年に全日本F3000選手権にV8エンジンのOX77を投入したが、OX66に引き続いて5バルブを採用した(中身はコスワースDFVを5バルブ化したエンジンのため「コスワース・ヤマハ」と呼ばれた)。鈴木亜久里らがドライブするマシンに搭載されて活躍したが、1988年から全日本F3000で5バルブが禁止されることもあり、その翌年の1989年(平成元年)からF1にもエンジン供給の形で参戦した(詳細は後述)。(ヤマハ発動機 フレッシュアイペディアより)
注目ワード
「ヤマハ発動機」商品情報
キーワード一覧