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村越周司から見た大阪府立上方演芸資料館
その後田舎暮らしに憧れログハウス生活を試みたが断念。歯科技工士を志したのは白衣を着る仕事がしたかった為であるが、歯科技工士は特に白衣を常用する仕事ではなく、専門学校の講師に不器用と言われて辞め(合格率99%といわれる国家試験で不合格となった)、そして沖縄県でコロッケ屋を開店するも長続きせず、職を転々としていたが、あるときバッファロー吾郎とコバヤシの番組『スッごい!おとなの時間』の公開収録に出演。その際に刺激を受けたのか、2006年に突如フリーのギャグ芸人として復帰宣言し2006年5月7日「もうギャグしかしない」をワッハ上方演芸ホールで開催した(後にこのライブを収めた自主制作DVDもリリースした)。(村越周司 フレッシュアイペディアより)
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澤田隆治から見た大阪府立上方演芸資料館
澤田がその基礎を作ったABC落語ライブラリーは後輩はもちろん、同じ大阪のライバル局MBSラジオ、ラジオ大阪、FM大阪にも影響を与えた。ABCラジオは1971年(昭和46年)11月11日、澤田の1年後輩の狛林利男(後にワッハ上方初代館長)が企画した開局20周年記念番組『1080分落語会』を放送し成功させた。これは上方落語協会メンバー総出演で朝から深夜まで18時間、56席ひたすら演じ続けすべて生中継するというもので、後にLPレコード3枚にまとめられた『実況録音盤』が発売された。MBSでは1983年(昭和58年)に入社した柏木宏之がライブラリーの整理に取り組むようになり、最近ではナイターオフに1時間を超える長編の噺が完全ノーカットで放送されることもある。(澤田隆治 フレッシュアイペディアより)