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岸孝之から見た七十七銀行硬式野球部
社会人野球の七十七銀行硬式野球部の元監督である父親の影響で、仙台市立西中田小学校3年となった1993年から安久野球部(現:西中田ゴールデンアクロス)で野球を始めた。その後仙台市立柳生中学校、宮城県名取北高等学校へと進学。高校3年生となった2002年夏の宮城県大会では2回戦で敗退し、甲子園出場を経験することはなかった。高校3年夏の宮城県大会1回戦の多賀城高戦で、この高校の選手として東北学院大学・菅井徳雄監督の息子が出場していた。この試合を観戦していた菅井監督は、息子のチームをノーヒットに抑える相手チームの岸に注目。無名校の投手だった岸に、スポーツ推薦での東北学院大学への入学を頼み込んだという。(岸孝之 フレッシュアイペディアより)
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JT硬式野球部から見た七十七銀行硬式野球部
1980年、当時の日本専売公社東北支社と同仙台工場の軟式野球部が統合し、硬式野球部に再編。同時にチーム名を日本専売公社東北硬式野球部(呼称「専売東北」)とした。その後専売公社の民営化、CI導入などにより3度の名称変更を経る中で東北の強豪として全国大会の常連となる。しかし、たばこ需要の減少から本社がスポーツ部門の再編を進める中、2003年に仙台工場が閉鎖されたのに伴い、次年度限りでの廃部を発表される。最後の夏となった2004年、理事会推薦特別枠で1年限りの増枠となった東北第3代表で都市対抗野球大会に出場。七十七銀行硬式野球部とともにベスト4まで進出し、東北旋風を巻き起こした。チーム創設3年目から23年間在籍し続ける「ミスターJT」こと原野優選手など、個性の強い選手が多い名チームであった。(JT硬式野球部 フレッシュアイペディアより)
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第75回都市対抗野球大会から見た七十七銀行硬式野球部
日本野球連盟推薦枠で単年増枠された東北地区からは仙台市の3チームが出場。うち、今大会で初勝利を挙げた七十七銀行とこの年限りでの廃部が決まっていたJTはともに初のベスト4に進出。東北勢がベスト4に2チーム進出という史上初の「東北旋風」が巻き起こった。(第75回都市対抗野球大会 フレッシュアイペディアより)
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