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遠藤敬止から見た第七十七国立銀行
嘉永4年(1851年)、会津藩士・遠藤清直の長男として江戸に生まれる。幕府の開成所に学んだ後、戊辰戦争、鳥羽・伏見の戦いの際には会津軍として歴戦し、鶴ヶ城の籠城戦に加わりのち敗れて江戸にて謹慎生活を送る。独学で英学を修め、慶應義塾に入って経済学を学ぶ。大蔵省に銀行事務講習所が創設されると、講師として出仕。渋沢栄一に見出されて第一国立銀行勤務後、第七十七国立銀行頭取となり、仙台商業会議所会頭ほか、会津銀行設立や学校の創立など多くの事業を支援。明治23年(1890年)に鶴ヶ城の払下げが決定すると、募金を集めて私財を投げ打って2,500円で鶴ヶ城は払下げられ、旧藩主松平家に寄贈した。鶴ヶ城城保存の恩人として北出丸に顕彰碑が建立され、顕彰会が毎年開催されている。(遠藤敬止 フレッシュアイペディアより)
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宮城学院女子短期大学から見た七十七銀行
全学科を含めると、ソフトバンクテレコム・三井住友海上火災保険・ユアテック・大正製薬・パナソニック・七十七銀行・徳陽シティ銀行・住友生命保険・日本生命保険・ミサワホーム・東北電力・日本銀行・明治安田生命保険・東日本旅客鉄道・三菱UFJ信託銀行など一般企業への就職者が多いものとなっていた。食物専攻では栄養士、保育科では保育所や幼稚園への就職者が多いものとなっていた。(宮城学院女子短期大学 フレッシュアイペディアより)
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