-
西陵峡から見た三峡ダム
かつては航行の難所であり、急流の下にある暗礁にぶつかって沈んだ船も多く、沿岸には白骨塔という慰霊のための塔も作られている。しかし1988年に、宜昌市街のすぐ上流に葛洲壩ダムが完成した後、西陵峡の下流部分の流れは緩やかになり航行は容易になった。さらに、西陵峡の半ばの山中に開けた丘陵地帯・三斗坪に長江最大のダムである三峡ダムが建設され、周囲は大きく様相を変えている。三斗坪とは、一戸の家が三斗の米を元手に旅人に食事と宿を提供する店を開いていたとの言い伝えから来た地名だが、この地に幅2,309mのダムと発電所が完成している。船はこのダムを迂回するように築かれた閘門を通る。(西陵峡 フレッシュアイペディアより)
-
京滬高速鉄道から見た三峡ダム
京滬高速鉄道は、国務院が作成した、「中長期鉄道網計画」における「四縦四横」の高速鉄道幹線網の中の、「縦」の一路線である。「四縦四横」計画の他路線は、それぞれ細かい区間ごとに名前が付けられ計画・工事が進められているため、中長期鉄道網計画の中でも、距離や投資の規模は最大の高速鉄道プロジェクトである。一時に開業する高速鉄道路線としては世界最長である。北京・上海といった二大都市を結ぶ重要性から、中国の高速鉄道でもごく初期から政府機関の間で構想・計画が出ていた。総投資額は2,209.4億元であり、西部大開発の「西電東送」「南水北調」「西気東輸」「青蔵鉄道」や三峡ダム建設といったプロジェクトと並ぶ、中国の超大型プロジェクトであり、投資額は中華人民共和国建国以来最大だといわれている。(京滬高速鉄道 フレッシュアイペディアより)