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上地雄輔から見た常総学院中学校・高等学校
中学時代に計38校からスカウトを受け、私立横浜高等学校に進学。当初は木内幸男の下で野球がしたいと思い、茨城県土浦市の常総学院高等学校に進学しようと決めていたが、小倉清一郎から声をかけられた中学3年の夏に丹波慎也の投球を見て「この人の球を受けてみたい」と思い進路を変更した。在学時は硬式野球部に所属し、渡辺元智と小倉の厳しい指導を受けて捕手を務め、丹波とバッテリーを組んでいた。1年後輩には松坂大輔がおり、松坂が入部すると最初にバッテリーを組んだ。2年生から背番号2を背負ったが、その年の全国高等学校野球選手権神奈川大会の試合中に右肘の神経を断裂したため正捕手の座を1年後輩の小山良男に譲った(関東大会では、背番号2を背負っている)。(上地雄輔 フレッシュアイペディアより)
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上地雄輔から見たユニバーサル・スタジオ・ジャパン
10月2日、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンで「遊助2011ファンイベント in ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」を開催。(上地雄輔 フレッシュアイペディアより)
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