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上本博紀から見た西岡剛 (内野手)
には、阪神選手会の第15代会長に就任するとともに、プロ入り後初めて公式戦の開幕を一軍で迎えた。前年に続いて正二塁手として起用されていた西岡剛が、3月30日に巨人との開幕カード第2戦(東京ドーム)の守備中に重傷を負ってからは、西岡に代わる「1番・二塁手」としてスタメンに定着。4月10日の対横浜DeNAベイスターズ戦(甲子園)では、9回裏の第5打席で、ホルヘ・ソーサからプロ入り後初のサヨナラ安打を記録した。5月3日の対ヤクルト戦(明治神宮野球場)の守備中に、雄平の打球を右手に受けて親指末節骨を骨折したが、セ・パ交流戦から戦線に復帰。レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦で自己最多の131試合に出場した。初めて規定打席に到達するとともに、打率.276、 出塁率 .368、7本塁打、38打点、20盗塁という自己最高の成績を残したが、守備面ではセントラル・リーグの二塁手では最も多い17失策を記録した。シーズン終了後の11月11日に甲子園球場で開かれた「日本プロ野球80周年記念試合」では、阪神・巨人連合チームの「2番・二塁手」としてスタメンに起用されると、フル出場で4打数2安打2打点という成績を残した。(上本博紀 フレッシュアイペディアより)
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上本博紀から見た東京ヤクルトスワローズ
には、7月8日の対東京ヤクルトスワローズ戦(阪神甲子園球場)8回表から、二塁の守備要員として一軍デビュー。翌9日の対横浜ベイスターズ戦(甲子園)では、8回裏に代走で二塁への盗塁を試みたところ、相手捕手橋本将の送球が自身の身体を直撃。送球が外野に転がる間に一気に本塁へ生還したため、一軍初盗塁と初得点を同時に記録した。8月25日の対広島東洋カープ戦(京セラドーム大阪)では、梅津智弘からの適時打で一軍初安打・初打点も記録。9月5日に地元のMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島で催された同カードでは、「8番・二塁手」として一軍では初めてのスタメンに起用されると、一軍で初めて猛打賞を記録した。レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦28試合の出場ながら、打率.333、2打点、2盗塁、11得点という好成績を残した。(上本博紀 フレッシュアイペディアより)
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上本博紀から見た阪神甲子園球場
には、7月8日の対東京ヤクルトスワローズ戦(阪神甲子園球場)8回表から、二塁の守備要員として一軍デビュー。翌9日の対横浜ベイスターズ戦(甲子園)では、8回裏に代走で二塁への盗塁を試みたところ、相手捕手橋本将の送球が自身の身体を直撃。送球が外野に転がる間に一気に本塁へ生還したため、一軍初盗塁と初得点を同時に記録した。8月25日の対広島東洋カープ戦(京セラドーム大阪)では、梅津智弘からの適時打で一軍初安打・初打点も記録。9月5日に地元のMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島で催された同カードでは、「8番・二塁手」として一軍では初めてのスタメンに起用されると、一軍で初めて猛打賞を記録した。レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦28試合の出場ながら、打率.333、2打点、2盗塁、11得点という好成績を残した。(上本博紀 フレッシュアイペディアより)
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上本博紀から見た畠世周
には、入団以来着用してきた背番号4を00に変更。レギュラーシーズンの前半戦には、3割前後の打率を記録するほど好調な打撃を背景に、正二塁手の座を奪い返した。8月1日の対広島戦(マツダ)では、7回表の第4打席で左中間に飛球を放ったところ、打球と左翼手の松山竜平が外野のフェンスに激突。上本は、広島の外野陣がフェンスで跳ねた打球の処理へ手間取る隙にダイヤモンドを一周できたことから、シーズン6号本塁打をプロ入り後初めてのランニング本塁打で記録した。阪神の選手による一軍公式戦でのランニング本塁打は、1998年7月4日に広島市民球場で催された同カードで、当時の新人外野手・坪井智哉が一軍初本塁打として記録して以来19年振りである。しかし、1点ビハインドで迎えた9回表1死1塁での第5打席で今村猛から空振り三振を喫した際に、上体が回転したあげく広島の捕手・會澤翼と正対。その間に一塁走者の西岡剛が二塁へ進んだことから、上本は「會澤から二塁への送球を妨げた」として、球審の杉永政信から守備妨害によるアウトを宣告された。監督の金本知憲はこの判定をめぐって杉永に抗議したものの、結局判定は覆らず、上本が1つのプレーで2つのアウトを取られる異例の展開で試合終了に至った。9月には月間打率が.435にまで達するほど好調で、セ・リーグのレギュラーシーズン最終規定打席にも2年振りに到達。スタメンを外れていた5日の対広島戦(マツダ)6回表には、一軍公式戦自己最多のシーズン8号本塁打を代打で記録した。9月30日・10月1日に東京ドームで催された巨人との2連戦では、「2番・二塁手」としてスタメンに起用された第1戦で、1回表の第1打席に巨人先発・畠世周の投球を左側頭部に受けて退場(畠も嶋田哲也球審からの危険球宣告によって試合開始から4球投げただけで退場)。しかし、翌日の第2戦にもスタメンで出場すると、5回表1死無走者で迎えた第3打席で救援登板の畠からシーズン9号本塁打を放った。レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦125試合に出場。打率3割と2桁本塁打にはわずかに及ばなかったものの、出塁率.366や長打率.403という好成績を残した。その一方で、シーズン終了後の11月9日には、右足関節のクリーニング手術を受けた。(上本博紀 フレッシュアイペディアより)
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