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上野裕一郎から見たIAAFグランプリ大阪大会
2010年、第15回全国都道府県対抗男子駅伝競走大会の長野代表を支えた後、千葉国際クロスカントリー大会から始動。4月兵庫リレーカーニバル1500mではジョナサン・ディク(日立電線)に次ぐ2位となった後、5月3日の静岡国際陸上競技大会5000mでは5位。続く5月8日国際グランプリ陸上大阪大会1500mでは3分40秒83の自己新記録を樹立して3位に入った。6月の第94回日本選手権では1500m・5000mの連覇が期待されて出場し、4日の1500m予選1組を1位通過。5日の1500m決勝では前年と同様のレース展開で中盤からの独走を狙ったが小林史和が追走してこれを許さず、一団にまとまる展開となり村上康則らに交わされて3位。6日の5000mでは後方から進めるレース展開で上位を狙ったが中盤で遅れて11位となった。8月14日、ベルギー・ルーバンで開催された競技会の1500mにおいて日本歴代8位となる3分39秒52を記録した。(上野裕一郎 フレッシュアイペディアより)
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上野裕一郎から見た兵庫県立西脇工業高等学校
また、この5000mには大牟田高校の伊達秀晃、西脇工業高校の北村聡、洛南高校の松岡佑起が出場しており、上野を含めた4人で日本人上位を分け合う結果となった。それぞれが高校陸上長距離種目の名門校出身であり、高校時代の5000m自己記録が大学生エリートランナーの1つの目安とされる13分台 を記録していたこの4人は、この前後よりあらゆるレースで顔を合わせ、この後も長らく互いに競い合う関係になった。この同学年エースランナー4人を指して、人は自然発生的に四天王と呼ぶようになった。(上野裕一郎 フレッシュアイペディアより)
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上野裕一郎から見た国民体育大会
2001年12月23日、佐久長聖高校1年の上野は第52回全国高等学校駅伝競走大会に出場して2区区間賞を獲得、その実力は早くも全国に知れ渡るものとなった。2002年、佐藤悠基が入学してきた。佐藤とは彼がまだ中学3年生であった頃、2001年の国体3000mで初めて対決して以来、互いに意識するライバルであったという。12月3日、日本体育大学長距離競技会5000mに出場し、日本高校2年歴代2位となる13分56秒11を記録した。翌2003年1月19日には第8回全国都道府県対抗男子駅伝に出場し、長野県代表として5区を走り区間賞を獲得した。前年の今井正人の記録を1秒更新する区間新記録を樹立し、またこの時24位でタスキを受けると17人をごぼう抜きし、7位まで順位を上げた。(上野裕一郎 フレッシュアイペディアより)
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上野裕一郎から見たゴボウ
2001年12月23日、佐久長聖高校1年の上野は第52回全国高等学校駅伝競走大会に出場して2区区間賞を獲得、その実力は早くも全国に知れ渡るものとなった。2002年、佐藤悠基が入学してきた。佐藤とは彼がまだ中学3年生であった頃、2001年の国体3000mで初めて対決して以来、互いに意識するライバルであったという。12月3日、日本体育大学長距離競技会5000mに出場し、日本高校2年歴代2位となる13分56秒11を記録した。翌2003年1月19日には第8回全国都道府県対抗男子駅伝に出場し、長野県代表として5区を走り区間賞を獲得した。前年の今井正人の記録を1秒更新する区間新記録を樹立し、またこの時24位でタスキを受けると17人をごぼう抜きし、7位まで順位を上げた。(上野裕一郎 フレッシュアイペディアより)
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上野裕一郎から見た日本大学
2005年5月の第84回関東インカレ1500mでメクボ・ジョブ・モグスに次ぐ2位に入賞した。5000mではディラング・サイモン(日本大学)が大会新記録となる13分27秒14で優勝する中、上野は3位松岡佑起・4位佐藤悠基に次ぐ5位入賞となった。6月の第89回日本選手権1500mでは4位入賞を果たした。10月、第17回出雲駅伝では6区アンカーを任され、駒澤大学を交わし2位に上げるが、前を行く伊達秀晃には届かず、中央大学は出雲駅伝準優勝となった。11月6日、第37回全日本大学駅伝で2区を任されると、8人をごぼう抜きし10位から2位へ順位を上げ、区間2位の成績を残した。この年、中央大学は出雲路に続き伊勢路でも準優勝の成績を残した。(上野裕一郎 フレッシュアイペディアより)
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上野裕一郎から見た5000メートル競走
上野 裕一郎(うえの ゆういちろう、1985年7月29日 - )は日本の陸上競技選手、専門は中・長距離種目。長野県佐久市出身。佐久長聖高等学校、中央大学法学部卒業。エスビー食品を経てDeNA所属。第12回世界選手権男子5000m日本代表。(上野裕一郎 フレッシュアイペディアより)
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上野裕一郎から見た2009年
2009年1月、第14回全国都道府県対抗男子駅伝で7区アンカーを務め、兵庫県代表の北村聡の追走を許さず、ゴール前には手を合わせる仕草を見せたり大きくガッツポーズをしたりし派手にゴール。自身3度目となる長野県優勝を飾った。またふるさと選手制度の関係により、長野県代表として佐藤悠基と共に出場できる最後の都道府県男子駅伝となった。4月、アメリカ合衆国で開催されたマウント・サック・リレー1500mにおいて3分42秒51の自己新記録を残した。その後もバークレー招待、カーディナル招待(共に5000m)と各地を遠征。帰国した後5月30日ゴールデンゲームズinのべおかの5000mにおいて13分26秒31をマーク、世界選手権参加標準記録B(13分29秒00)を突破した。(上野裕一郎 フレッシュアイペディアより)