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上野裕一郎から見た関東インカレ
2005年5月の第84回関東インカレ1500mでメクボ・ジョブ・モグスに次ぐ2位に入賞した。5000mではディラング・サイモン(日本大学)が大会新記録となる13分27秒14で優勝する中、上野は3位松岡佑起・4位佐藤悠基に次ぐ5位入賞となった。6月の第89回日本選手権1500mでは4位入賞を果たした。10月、第17回出雲駅伝では6区アンカーを任され、駒澤大学を交わし2位に上げるが、前を行く伊達秀晃には届かず、中央大学は出雲駅伝準優勝となった。11月6日、第37回全日本大学駅伝で2区を任されると、8人をごぼう抜きし10位から2位へ順位を上げ、区間2位の成績を残した。この年、中央大学は出雲路に続き伊勢路でも準優勝の成績を残した。(上野裕一郎 フレッシュアイペディアより)
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上野裕一郎から見た2006年世界クロスカントリー選手権
2006年1月2日、第82回箱根駅伝で東海大学のスーパールーキーとなった佐藤悠基と3区で対決。後ろから迫る佐藤に影を踏ませることはなかったが、風邪と右足人指し指の腱鞘炎の影響で、区間新記録を樹立した佐藤、福井誠に続く区間3位にとどまった。4月には福岡で開かれた世界クロスカントリー選手権のショート(4 km、この年をもって廃止)に日本代表として出場するがスタート直後にシレシ・シヒネと足が絡まり転倒した。(上野裕一郎 フレッシュアイペディアより)
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上野裕一郎から見た平成15年度全国高等学校総合体育大会
2003年高校3年となった上野は7月、長崎インターハイ出場を果たし、前年に続き1500mと5000mの2種目にエントリーした。ともに近年は外国人留学生ランナーが優勝を重ね続ける種目であり、この年も前年2002年に続きジョセファト・ダビリが2種目優勝を遂げ、また大会新記録まで樹立する結果となった。上位も4位までを留学生が占める中、上野は1500m・5000mの2種目とも5位、日本人1位の成績を残し、この時1500mで記録した3分45秒49は日本高校歴代4位となる好タイムであった。(上野裕一郎 フレッシュアイペディアより)
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上野裕一郎から見た第82回東京箱根間往復大学駅伝競走
2006年1月2日、第82回箱根駅伝で東海大学のスーパールーキーとなった佐藤悠基と3区で対決。後ろから迫る佐藤に影を踏ませることはなかったが、風邪と右足人指し指の腱鞘炎の影響で、区間新記録を樹立した佐藤、福井誠に続く区間3位にとどまった。4月には福岡で開かれた世界クロスカントリー選手権のショート(4 km、この年をもって廃止)に日本代表として出場するがスタート直後にシレシ・シヒネと足が絡まり転倒した。(上野裕一郎 フレッシュアイペディアより)
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上野裕一郎から見た関東学生陸上競技対校選手権大会
大学4年となり、上野は5月の関東インカレ5000mに出場、松岡・竹澤らを抑えて14分01秒00の記録で優勝を飾った。「四天王ではなく僕が一番」「佐藤や竹澤は本当に強い選手なので、負けたくない意識は強い」との上野の想いが結実する勝利であった。(上野裕一郎 フレッシュアイペディアより)
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上野裕一郎から見た静岡県立浜松商業高等学校
同年12月21日、第54回全国高校駅伝において、前年に引き続き各校のエースランナーが集う花の1区を務め、区間5位の結果を残した。この時記録した28分54秒のタイムは日本人選手で史上初めて29分を切るものであり、古田哲弘(浜松商業高校)の記録29分15秒を更新する日本人選手区間最高記録となった。上野や佐藤 らの活躍により佐久長聖高校は7区間42.195kmの都大路を2時間04分30秒で駆け抜け、全国2位の成績を残した。翌2004年1月18日には第9回全国都道府県駅伝に出場し、長野県代表5区として区間賞を獲得。前年の自身の記録を1秒縮める24分32秒で走り区間記録を更新、また上野が5人を交わして先頭にたつと、その後は先頭を他者に譲ることなく長野県代表が全国優勝を飾った。(上野裕一郎 フレッシュアイペディアより)