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上野裕一郎から見た新春スポーツスペシャル箱根駅伝
2009年1月2日の日本テレビ『新春スポーツスペシャル箱根駅伝』では今井正人と共に第85回箱根駅伝の往路ゲスト解説を務め、腰の位置やフォームを指摘するなど適所にポイントを挙げる解説ぶりを見せた。2009年4月アメリカ遠征中であった上野は、佐藤悠基が10000m日本歴代3位となる記録を樹立した場に居合わせ、佐藤の快挙を祝福した。2010年の天皇盃第15回全国都道府県対抗男子駅伝では自身の出場選手登録はなかったものの、長野代表の合同練習を手伝い大会当日には広島に帯同するなど、大会3連覇を目指す代表選手へのサポートを惜しみなく行なった。また、長野県のローカルレースである長野県縦断駅伝にも参加し、2007年は出身地区である全佐久チームを初優勝へと導くなど故郷に対する思い入れも強い選手である。。(上野裕一郎 フレッシュアイペディアより)
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上野裕一郎から見たナイトオブアスレチックス
7月28日ベルギー・ヒュースデン=ゾルダーにおいてナイトオブアスレチックスの5000mBに出場。自己ベストを10秒以上も更新する13分21秒49を記録し、世界陸上選手権大阪大会5000mの参加標準記録A(13分21秒50)を突破した。またこれは5000m日本歴代5位となる記録であった。(上野裕一郎 フレッシュアイペディアより)
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上野裕一郎から見た静岡国際陸上競技大会
2010年、第15回全国都道府県対抗男子駅伝競走大会の長野代表を支えた後、千葉国際クロスカントリー大会から始動。4月兵庫リレーカーニバル1500mではジョナサン・ディク(日立電線)に次ぐ2位となった後、5月3日の静岡国際陸上競技大会5000mでは5位。続く5月8日国際グランプリ陸上大阪大会1500mでは3分40秒83の自己新記録を樹立して3位に入った。6月の第94回日本選手権では1500m・5000mの連覇が期待されて出場し、4日の1500m予選1組を1位通過。5日の1500m決勝では前年と同様のレース展開で中盤からの独走を狙ったが小林史和が追走してこれを許さず、一団にまとまる展開となり村上康則らに交わされて3位。6日の5000mでは後方から進めるレース展開で上位を狙ったが中盤で遅れて11位となった。8月14日、ベルギー・ルーバンで開催された競技会の1500mにおいて日本歴代8位となる3分39秒52を記録した。(上野裕一郎 フレッシュアイペディアより)
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上野裕一郎から見たアメリカ合衆国
2009年1月、第14回全国都道府県対抗男子駅伝で7区アンカーを務め、兵庫県代表の北村聡の追走を許さず、ゴール前には手を合わせる仕草を見せたり大きくガッツポーズをしたりし派手にゴール。自身3度目となる長野県優勝を飾った。またふるさと選手制度の関係により、長野県代表として佐藤悠基と共に出場できる最後の都道府県男子駅伝となった。4月、アメリカ合衆国で開催されたマウント・サック・リレー1500mにおいて3分42秒51の自己新記録を残した。その後もバークレー招待、カーディナル招待(共に5000m)と各地を遠征。帰国した後5月30日ゴールデンゲームズinのべおかの5000mにおいて13分26秒31をマーク、世界選手権参加標準記録B(13分29秒00)を突破した。(上野裕一郎 フレッシュアイペディアより)