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班女から見た下鴨神社
ここで場面は京都(糺の森)に移る。一声(シテの登場を示す笛の吹奏法)があり、後ジテが現われる。恋に泣く身を「いかに狂女なにとてけふは狂はぬぞ面白ろう狂ひ候へ」などと神社(下鴨神社)で見物人にからかわれる始末である。ところが片時も離さなかった扇に眼を留めた男があった。形見の扇に恋人を偲び中国の古籍をふんだんに引用した謡とともに序ノ舞(現在では中ノ舞)を舞う班女。男は(オリジナルではツレを介して)声をかけるが「これは愛しい人の形見だから」と拒否される。さらに声をかけ、扇を見せあえば、それが少将との再会であった。「それぞと知られ白雪の、扇のつまの形見こそ、妹背の中の情なれ、妹背の中の情なれ」(トメ拍子)。(班女 フレッシュアイペディアより)
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女蔵人から見た下鴨神社
江戸時代の女蔵人は命婦の下、御差の上の地位に置かれ、国名をもって呼称された。定員は原則1名であるが、2・3名存在する場合もあった。職掌は宮中の雑用を担当する点では平安時代と変わりがなかった。なお、天皇の交替があっても最低1名は女蔵人に留まって引き続き職務にあたることとされ、また年労によって命婦に昇進する場合もあった。出身としては、外記・史・六位蔵人を出す地下家や北面・社家(主に上賀茂神社・下鴨神社・松尾神社・日吉神社など)などから選ばれたが、次第に地下家の娘は命婦として採用されることが多くなり、もっぱら北面と社家から選ばれるようになった。(女蔵人 フレッシュアイペディアより)
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