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宮本太郎から見た与謝野馨
麻生内閣時代の安心社会実現会議に委員として参加したのは、当時財務大臣だった与謝野馨の推薦によるものである。与謝野が宮本を知ったのは、宮本の著書『福祉政治―日本の生活保障とデモクラシー』を政務秘書官に薦められて読んだのがきっかけだという。連合は、雇用や社会保障問題のブレーンとして宮本を起用していたため、同じく安心社会実現会議委員を務めた連合会長の高木剛は、「なぜ与謝野さんは宮本氏を知っていたのか」と不思議がっていたという。宮本は、共産党の宮本顕治の息子であるため、「そんな人を首相直属の有識者会議に入れていいのか」と主張する与党(当時は自民党と公明党)幹部もいたが、与謝野は「誰であろうが、優れた意見を言う研究者なら何が問題があるのか」と突っぱねたという。後に与謝野が菅内閣に経済財政政策担当大臣として入閣した時も、宮本は新成長戦略実現会議委員に起用されたほか、同内閣の社会保障改革検討本部の有識者検討会では座長を務めた。(宮本太郎 フレッシュアイペディアより)
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訃報 2017年5月から見た与謝野馨
5月21日 - 与謝野馨、日本の政治家、元衆議院議員、通商産業大臣、内閣官房長官兼拉致問題担当大臣、財務大臣兼金融担当大臣、経済財政担当大臣【自由民主党・たちあがれ日本所属】(* 1938年)(訃報 2017年5月 フレッシュアイペディアより)
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中畑清から見た与謝野馨
2010年5月9日には、たちあがれ日本が同年7月に執行の第22回参議院議員通常選挙の立候補者として擁立する方針であると報じられ、5月11日にたちあがれ日本の代表である平沼赳夫、共同代表の与謝野馨が同席する中、正式に出馬表明記者会見を行った。7月11日の投開票の結果、111,597票を獲得し同党内で2位になるも同党が比例区で1議席(片山虎之助)しか獲得できなかったため落選。翌年の8月末に離党したが、後に「結果的に受からなくてよかった」と発言している。その真意を問われ、「(議員になっていれば、)震災の後に自由に支援に故郷を訪れることができなかっただろうから」と述べている。(中畑清 フレッシュアイペディアより)
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