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    与謝野馨から見た人権擁護法案

    商工族として地歩を築いたが、通信傍受法制定や人権擁護法案を巡っては法務省との折衝にあたるなど、「法務族」議員でもある。薬害肝炎訴訟では、法務省との調整に与謝野があたり、議員立法の私案を作成、2007年12月に福田康夫が政治決断する環境を整えた。また与謝野は、官僚の作成した政策を説明できる能力に長けていることから、自民党時代から「政界きっての政策通」として評価されている一方、獨協大学教授の森永卓郎は「財政再建を優先する与謝野の主張は財務省の主張そのもの」と批判している。事実「経済書は日銀OBの吉野俊彦の岩波新書を一冊読んだだけだ」と告白している。安倍晋三は当初、安倍内閣発足時に与謝野を内閣官房長官に起用する人事を構想していたが、安倍周辺が与謝野の官僚寄りの姿勢を警戒し、官僚嫌いで知られる塩崎恭久が起用されるという経緯があった(後に与謝野は第1次安倍改造内閣で官房長官として入閣)。日本銀行の国債直接引き受けについて、特別な事由がある場合、国会の議決を経れば可能であり、現時点でも日銀は年に10兆円程度の国債直接引受を実施しているにもかかわらず、「法律が禁じているため、不可能だ」と発言し復興増税を推進している。与謝野馨 フレッシュアイペディアより)

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    与謝野馨から見た除名

    文藝春秋(2010年4月号)で自民党執行部を批判する記事を書き、同年4月3日自由民主党総裁の谷垣禎一と直接会談し、4月7日付で離党届を提出。会談で与謝野は谷垣に「自民党分裂とはとらないでください、大げさに感じないでください」と述べ、会談後も記者に「“自民党の分裂ではなく、一個人・与謝野馨が去ったということだと考えてほしい”と伝えた」と述べ、自身らの離党は自民党分裂ではないとした。4月10日の午前には「反民主・非自民を貫く」と述べ、結成を予定する新党は反民主の党であるとの認識を示し、4月10日午後、平沼赳夫、園田博之らとともに、新党「たちあがれ日本」の結党を正式に発表した。しかし、そんな与謝野の思いとは裏腹に4月27日、自民党党紀委員会は政党票で当選した比例選出議員であることや新党結党首謀者として他の自民党国会議員(園田博之・藤井孝男・中川義雄)に対して新党結党のために自民党離党を促したことを反党行為として、賛成9票・反対3票で与謝野に対して除名処分が下った。与謝野馨 フレッシュアイペディアより)

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    与謝野馨から見たベルリン

    生後すぐに父が中国・北京に赴任したため、馨も0歳にして北京に移る。日本に帰国した4歳の頃、祖母・晶子が死去している(祖父・鉄幹は馨が生まれる3年前に死去しており、会ったことはない、また祖母・晶子との思い出も殆どなく、祖父母は身内ではなく、教科書に載っている歴史上の人物であるような気がすると自身の著書で著している)。戦時中、父はベルリンの日本大使館に勤務していたが、日本に残された家族の生活は困窮し、無賃乗車で母とともに交番に連れて行かれたこともあったという。戦争末期には東京大空襲にも遭遇している。港区立麻布小学校卒業後、麻布中学校に進学。与謝野馨 フレッシュアイペディアより)

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    与謝野馨から見た議員会館

    与謝野が情報技術に詳しいらしいと聞きつけたニワンゴでは、2008年自由民主党総裁選挙に際し議員会館への飛び込み営業を行い、ニコニコ動画の「ニコニコ生放送」への出演を打診した。与謝野本人は不在だったが与謝野の秘書が応対し、後日、出演依頼を断っている。与謝野馨 フレッシュアイペディアより)

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    与謝野馨から見たA級戦犯

    首相の靖国神社参拝論議が過熱していた頃には、靖国神社が自発的なA級戦犯の分祀を行えば解決するとの観点から、「日中両国に実際に起きている問題について両方が満足感を得られる解決が必要だ」との考えを示している。与謝野馨 フレッシュアイペディアより)

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    与謝野馨から見たカイロ

    父がエジプト勤務になったときは、カイロ郊外・ヘリオポリスのイングリッシュスクールに編入学している。このころ、自分が敗戦国の国民であることを強烈に感じ、日本の文化・経済を一流にしたいという想いが生まれたという。その後、イギリスのオックスフォード大学への進学を目指し、一次試験までパスするが、考えを変えて日本に帰国。麻布高校に編入学し、平沼赳夫の同級生となる。東大受験に失敗するが、平沼によれば卒業式で表彰されるような優等生だった。駿台高等予備校(現駿台予備学校)で1年間の浪人を経て東京大学文科I類に入学。いわゆる全学連世代だが、学生運動には一切関わらなかった。駒場時代は授業に失望して文学書を濫読。学生時代の記憶に残る本として有島武郎の「カインの末裔」、後々まで自分の思考に影響を与えた本として、碧海純一「法哲学概論」、団藤重光「刑法綱要」などを挙げている。硬式野球部に所属し、マネージャーを務める。このときの2年後輩に新治伸治がいる。与謝野馨 フレッシュアイペディアより)

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    与謝野馨から見た政治献金

    村上ファンドから2004年の政治資金収支報告書記載分として40万円の政治献金を受けていた。与謝野馨 フレッシュアイペディアより)

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    与謝野馨から見た外交官

    東京府東京市麹町区(現在の東京都千代田区)に与謝野秀・与謝野道子の長男として生まれる。父・秀(しげる)は歌人与謝野鉄幹・晶子夫妻の二男で外交官(戦前は外務省情報部長、調査局長などを経て在外公館勤務)。与謝野馨 フレッシュアイペディアより)

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    与謝野馨から見た消費者物価指数

    2003年、第43回衆議院議員総選挙で選挙区では僅差で海江田に敗れたが、比例復活で3年ぶりの国政復帰。2004年、自民党政調会長に就任し、小泉首相の進める郵政民営化に尽力、翌年9月に行われた第44回衆議院議員総選挙では、海江田に対して比例区での復活を許さないほどの圧倒的な勝利を収め、5年前の雪辱を果たした。2005年発足の第3次小泉改造内閣では、内閣府特命担当大臣(金融・経済財政政策担当)に就任。2006年、小泉内閣の終わり近くに景気が少し持ち直してくると、消費者物価指数がマイナスにもかかわらず、量的緩和解除のゴーサインを出した。「デフレのほうが良い。インフレは絶対悪だ。だから物価上昇率がプラスになったら悪魔である」と語っていたという。与謝野馨 フレッシュアイペディアより)

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    与謝野馨から見た核拡散防止条約

    会社の命により、民社党の核拡散防止条約に関する訪欧調査団に原子力の専門家・通訳として同行、スイス、ユーゴスラビア、イギリス、イタリア、ドイツなどを訪問した。調査団メンバーは後の委員長佐々木良作を始め曽祢益、岡沢完治、渡辺朗。与謝野にとっては政治家と深く関わった第一歩であり、こうした民社党の面々とは政界入り後も親しい関係が続くことになる。佐々木と共にドイツ滞在中には中曽根康弘と邂逅、2人の政治家の食事のお供などをしたが、このことが政界入りの直接の契機となった。中曽根とは就職の斡旋以来、勉強会などを通じて親交があったが、帰国後にやはり同じ勉強会のメンバーであった渡邉恒雄を通じて秘書にならないかと誘いを受けた。与謝野馨 フレッシュアイペディアより)

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