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SX250/SX2150から見た中国人民解放軍
SX250は、Shaanxi Automobile Works(現在はShaanxi Automobile Corporation Ltd)で、ソビエト連邦製のウラル-375DとフランスのBerliet GBU 15をベースに1960年初めに開発設計され、中国人民解放軍が物資輸送用に使用しているが、後継車であるSX2190も徐々に投入されている。(SX250/SX2150 フレッシュアイペディアより)
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東トルキスタン共和国から見た中国人民解放軍
12月までに中国人民解放軍が新疆全域に展開し、東トルキスタンは完全に中華人民共和国に統合された(新疆侵攻)。ウイグル族とソ連領中央アジア出身者、モンゴル族やシベ族、回族で構成された東トルキスタン共和国軍(イリ民族軍)を野戦第五軍に編入した人民解放軍に対抗して、国民党側についたウイグル族のユルバース・カーンは白系ロシア人と中国人ムスリムの軍(帰化軍)を率いていた。1950年、伊吾で国民党軍と人民解放軍の戦闘が起こり、敗れた国民党は中国大陸を脱出することになった()。ユルバース・カーンはチベットを通過してインドのカルカッタへ逃亡しなければならなかったが、チベットでダライラマ軍に攻撃を受けた。カルカッタからは国民党とともに蒸気船で台湾に避難した。ユルバース・カーンが新疆省亡命政府主席に就任。(東トルキスタン共和国 フレッシュアイペディアより)
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国境会戦 (朝鮮戦争)から見た中国人民解放軍
朝鮮人民軍(以下北朝鮮軍)は1946年1月に創設された鉄道保安隊を起源としており、正式な発足は1948年2月8日である。1949年末の時点では4個師団を有するに過ぎなかったが、その後半年で倍以上に増強された。特に、49年夏ごろより、中国人民解放軍にあった朝鮮系中国人部隊が、師団編成を保ったままで編入されはじめており、それ以外の部隊にも中国帰りの将兵が多数編入されていた。北朝鮮軍は極めて早いペースで増強されていたが、これら歴戦の将兵により、極めて高い錬度を保っていた。北朝鮮は韓国よりも人口が少なく(約43%)、兵力面では韓国が優位であると考えられていたが、これによって軍事バランスは一気に北側に傾いた。1950年6月25日の開戦の時点で、北朝鮮軍の戦力は、完全編成の歩兵師団8個、未充足の歩兵師団2個、戦車旅団1個および独立戦車連隊1個の正規部隊と警備旅団5個を含み総兵力19万8千、戦車240両、砲552門、迫撃砲1728門、航空機211機にまで増強されていた。(国境会戦 (朝鮮戦争) フレッシュアイペディアより)