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    中日ドラゴンズから見た山内一弘

    前年のシーズンオフに山内一弘が監督に就任。巨人戦に14連勝するなどして、優勝した広島と3.0ゲーム差の2位となった。中日ドラゴンズ フレッシュアイペディアより)

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    中日ドラゴンズから見た和田一浩

    移籍した福留の穴埋めとして埼玉西武ライオンズからFA宣言した和田一浩を獲得し落合は「レギュラーの野手は決まっている」と宣言した。前述の和田、荒木、井端、李炳圭、ウッズ、中村紀洋、森野、谷繁と落合就任当初は1軍と2軍の枠を撤廃してまでチーム内の競争を煽った事を考えれば大きく方針を転換したが、5月14日の東京ヤクルト戦で森野が左脹脛肉離れを起こしたのがきっかけでレギュラーが次々と離脱した。6月は李炳圭と井端が、8月の北京オリンピックでは怪我がちの森野と荒木が揃って離脱。平田良介以外にそれを補うべき若手も現れず、結局535得点はセリーグワースト、4番ウッズが77打点にとどまったのと得点圏打率が2割2分7厘に表れている様にチームの得点圏打率がチーム打率と共に2割5分3厘とセリーグどころか12球団のワーストと111のダブルプレーを喫したのもセリーグワーストと攻撃面ではワースト記録のオンパレード。また投手面もチーム史上初の規定投球回到達者なし。最も多く投げたのは山本昌の133回と3分の2で前年3人で38勝挙げた中田(14勝)、朝倉、エースの川上(いずれも12勝)が中田は怪我と不振、朝倉は7月に右腕の血行障害を発症、川上に至っては台湾代表のチェン・ウェインと日本代表で4位の大戦犯だった岩瀬と共に北京オリンピックで離脱。オリンピック後も調整に時間がかかった事も重なって3人揃って19勝どまり。日本シリーズで8回パーフェクトの快投を見せた山井も怪我で2試合の登板に終わった。吉見一起やチェンが先発・中継ぎフル回転し後半戦は2年目の清水昭信が完投する等若手でカバーしたが、先発ローテーションが1年間固まらなかった。また先発ローテーションだけでなく中継ぎの勝ちパターンも1年間固まらず、FAで和田を獲得した代償として岡本が埼玉西武に移籍し、当初の構想から修正を余儀なくされ新セットアッパーを予定していた鈴木義広が開幕から8試合投げただけで右肘を疲労骨折してシーズン絶望となったのを皮切りに石井裕也が横浜へ移籍し、ベテランの平井が37試合で5.14の防御率と不振に陥った。44試合に登板した2年目の浅尾拓也と54試合登板の高橋聡文でカバーしたが投手陣で固まったのがクローザーの岩瀬だけだった。事実5人以上投手を起用した試合は昨年は30勝16敗1分けだったのが16勝22敗5分けと投手陣を多く起用すればする程苦しい展開だった事が祟って3位となり、クライマックスシリーズの出場権を得るのが関の山だった。クライマックスシリーズ第1ステージは阪神との接戦を2勝1敗で制したものの、第2ステージでは拙攻と投手陣の不調(特に救援陣)もあり、巨人に1勝3敗1引分けで敗退、3年連続日本シリーズ進出はならなかった。オフには、FAで川上憲伸が大リーグ・アトランタ・ブレーブスに、中村紀洋が東北楽天に移籍。中日ドラゴンズ フレッシュアイペディアより)

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    中日ドラゴンズから見た山崎武司

    この年はナゴヤ球場最終シーズンとなった。韓国の至宝といわれた宣銅烈が抑えとして期待されるも、日本の野球に馴染めず不振に終わる。8月11日の対巨人戦で野口茂樹がノーヒットノーランを達成。この年は長嶋巨人による「メークドラマ」の年だったが、巨人があと1勝で優勝という時点(巨人の残り試合は全て対中日戦だったのでマジックはつかなかった)で勝ち続け、9月24日から6連勝。10月6日、ナゴヤ球場での最後の公式戦を含む残り3試合の対巨人戦に全勝すればプレーオフという状況で、3試合目に2対5で敗戦で2位に終わる。この年は大豊泰昭、本塁打王になった山崎武司、3年連続で首位打者になったパウエルを主軸とした打線が活躍を見せ、“強竜打線”の愛称も一層の定着を見せた。中日ドラゴンズ フレッシュアイペディアより)

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    中日ドラゴンズから見た山井大介

    LGツインズから李炳圭、オリックスを自由契約となった中村紀洋が加入。シーズンに入ると、前年MVPの福留孝介が怪我もあってシーズン中に戦線離脱するものの、その穴を埋めるように、前年レギュラーに定着した森野将彦が打撃面でさらなる成長を見せた。投手陣では川上憲伸、朝倉健太、中田賢一を中心としたローテーション投手が活躍した常に上位を保ち、終盤には巨人、阪神との三つ巴の展開となったが、勝負どころでの取りこぼしが響き、最後は2位に終わる。セ・リーグでは初のプレーオフとなるクライマックスシリーズでは、第1ステージでは3位の阪神と対戦し2連勝、第2ステージはレギュラーシーズン1位の巨人と対戦し3連勝。計5連勝で球団史上初となる2年連続の日本シリーズ出場を決めた。日本シリーズでは2年連続で日本ハムと対戦し、第5戦で山井大介と岩瀬仁紀の継投による完全試合もあり、4勝1敗で日本ハムに前年の雪辱を果たし、53年ぶり2度目の日本一達成。アジアシリーズでは初戦の韓国代表SKワイバーンズに敗れ、予選2位で決勝戦に進むが、予選1位のSKワイバーンズに勝って優勝し、日本勢として3年連続のアジア王者となった。オフには、FAで福留孝介が大リーグ・シカゴ・カブスに移籍。中日ドラゴンズ フレッシュアイペディアより)

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    中日ドラゴンズから見た埼玉西武ライオンズ

    この年西日本パイレーツが、パ・リーグの西鉄クリッパースに吸収合併されたことでセ・リーグは、7球団体制になる。1月25日、名古屋野球株式会社から株式会社名古屋野球倶楽部が分離。2月6日より名古屋鉄道(名鉄)が球団経営に参加し、球団名も名古屋ドラゴンズ(なごやドラゴンズ)に改称。名鉄と中日新聞が隔年で経営することとなり、この年は名鉄が経営を担当。8月19日に試合中の火災で全焼した中日球場(中日球場で予定されていた残りの試合は鳴海球場などに変更して行われた)は、オフに鉄筋コンクリートで再建された。この年は、優勝した巨人に大差をつけられての2位。中日ドラゴンズ フレッシュアイペディアより)

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    中日ドラゴンズから見た北海道日本ハムファイターズ

    キャンプイン直前に西沢監督が十二指腸潰瘍の悪化により辞任、杉下茂が監督に復活。4月20日から5月1日まで9連勝するが翌日から8連敗を喫するなどチーム状態が安定せず。5月16日、ノースリーブユニフォームが登場した阪神戦で連敗が止まるが、5月29日から11連敗。6月12日に止まったものの翌日から連敗。3回目の7連敗となった6月24日に杉下監督が解任。本多逸郎二軍コーチが監督代行となるものの8月24日から再び11連敗を喫するなど立ち直る気配が見られず、2リーグ分立以降初めて同一リーグの全球団に負け越しての最下位となる。オフに元巨人・東映監督の水原茂が監督に就任。ドラフトでは1位で星野仙一、3位で大島康徳、6位で竹田和史、9位で島谷金二と、後に1974年の優勝に主力として活躍する選手を獲得。中日ドラゴンズ フレッシュアイペディアより)

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    中日ドラゴンズから見た福岡ソフトバンクホークス

    開幕から11連勝。投手陣は、野口茂樹や川上憲伸、山本昌にダイエーからFA移籍してきた武田一浩の先発陣に加え、新人の岩瀬仁紀が65試合に登板、サムソン・リー、落合英二らと共に不動のセットアッパーとなる。抑えの宣も好調で、12球団随一の投手王国を誇った。この年は大型連勝が多く、7月2日から8連勝したのに加え、シーズン終盤も9月21日から再び8連勝し、9月30日の神宮球場での対ヤクルト戦で、11年ぶりのリーグ優勝を果たした。前半戦を首位で折り返しての優勝は球団史上初。福岡ダイエーホークスとの日本シリーズでは中日圧倒的有利とされていたが、レギュラーシーズンで前年ほど活躍できなかった川上憲伸が第2戦で勝利するものの、野口は2戦2敗、関川が21打数2安打、福留が3戦から5戦まで3試合連続失策、井上一樹は13打数0安打に終わり、1勝4敗で敗退。宣が現役を引退。サムソンがメジャーリーグ挑戦で退団した。中日ドラゴンズ フレッシュアイペディアより)

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    中日ドラゴンズから見たスズキ (企業)

    2015年より、スズキとオフィシャル・パートナー契約を締結したことにより、ホームユニホームとサードユニホームのズボンに、スズキのロゴが掲出されることとなった。ズボンへのスポンサーロゴ掲出は球団史上初の取り組みとなる。また、サードユニフォームの名称が過去2年間の「燃竜」から「昇竜」に改められ、ホームゲームの4試合で着用する。ドラゴンズブルーとホームユニホームの白地を組み合わせたデザイン。中日ドラゴンズ フレッシュアイペディアより)

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    中日ドラゴンズから見たミズノ

    従来の青色・フォント(番号・背ネーム)を残しながらも、ドジャース型になる前(1974年 - 1986年)のスタイルとの融合が見られる。また、1948年以来(1949年を除く)、長らく愛称「ドラゴンズ」のロゴが筆記体の小文字(「Dragons」)だったが、監督に就任した落合博満の強い希望によりブロック体の大文字(「DRAGONS」 「D」の字のみは「CD」マークにアレンジ、ロゴ4)に変更され(ユニフォーム以外では、一部を除き、従来の「Dragons」ロゴが使用される)、1974年から胸番号などで使われてきた赤い文字も、縁起を担ぐ落合の「赤字を連想させる」という意向で排除された。書体は、名古屋軍創立時の胸ロゴに近い。帽子…青に、白の「CD」マーク(1986年までとやや違う)。ベルト…青。ソックス…青。製作はミズノ中日ドラゴンズ フレッシュアイペディアより)

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    中日ドラゴンズから見たテレビ東京

    同じ中日資本の三重テレビ放送とテレビ愛知も開局当初はホームゲームの中継が出来なかった。しかし三重テレビでは編成の都合上、東海テレビが放映権を得ながら同局で放送できない試合を三重テレビで放送することにより中継開始、また、テレビ愛知でもナゴヤドーム主催試合を2001年よりスタートし(対ヤクルト戦)現在は年数試合が放送されており、2007年には53年ぶりの日本一を達成した日本シリーズ第5戦(制作はナゴヤドームの巨人戦を含めてキー局のテレビ東京)を民放初の完全中継を行った(日本シリーズでTXN系列各局が放映権を得るパターンは、パシフィック・リーグのうち比較的多くの試合を放送する千葉ロッテマリーンズ(テレビ東京)、北海道日本ハムファイターズ(テレビ北海道)、福岡ソフトバンクホークス(TVQ九州放送)が進出した場合に推薦される機会が多く、セ・リーグ側で推薦された実績があるのは現段階で中日のみである)。中日ドラゴンズ フレッシュアイペディアより)

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