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  • 中村紀洋

    中村紀洋から見たタフィ・ローズ

    、開幕前に背番号を西武ライオンズへ移籍した義兄・村上嵩幸の着けていた5へ変更。4番打者として活躍し、打点王を獲得した。3・4番合計101本塁打(タフィ・ローズ55本、中村46本)は、での阪神(ランディ・バース54本、掛布雅之40本)を上回る最多記録を更新。さらに全試合出場を果たし、打率では.320と自己最高で初めての打率3割となった。また、打点132で打点王を獲得した。翌シーズンにFA権の取得が予想される中、近鉄から複数年契約(推定6年契約35億円)を提示される。しかし、12月26日に「1か月で判断するのは難しかった」と複数年契約を拒否し、推定年俸5億円プラス出来高払い1億円の単年契約を結ぶ。大阪教育大附属池田小学校の慰問活動が評価され第3回ゴールデンスピリット賞を受賞している。中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

  • 中村紀洋

    中村紀洋から見たトニ・ブランコ

    はアーロム・バルディリスが一軍確約契約で加入し、一塁手にはトニ・ブランコがいたため、開幕当初は1軍メンバーから外れたが、トニ・ブランコの故障もあり、戦力不足に喘いだ中畑監督自身が本人に懇願する形で直接電話で連絡して1軍昇格させた。沈んでいたチームにナイジャー・モーガンのTポーズを復活させ、チームを軌道にのせた。しかし5月6日の対巨人戦で「チーム方針に従わない言動があった」として登録抹消される。コーチに「自分の打席では、場面によっては走者を動かさず、打席に集中させてほしい」と相談したことが、中畑監督から采配批判とみなされた。これ以降は一度も1軍に昇格することはなかった。10月3日に球団から戦力外通告を受けた。DeNA球団は球界での実績や在籍時の貢献度が特に高かったことを改めて認め本拠地最終戦にあたる対ドラゴンズ戦で引退セレモニーを提案したが、中村は現役続行への強い意思があるとしてこれを拒否。最終的に同年は13試合の出場で打率.245、打席ではケースバッティングを心がけたため打点王ペースで打点を刻む10打点ながらも、2005年のドジャース時代を除けば1993年以来21年ぶりとなる本塁打0を記録。12月2日に自由契約公示された。中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

  • 中村紀洋

    中村紀洋から見た清原和博

    、11試合に出場しシーズン2本塁打を記録(パシフィック・リーグの高卒新人で本塁打2本以上は清原和博・田中幸雄以来6年ぶり)。中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

  • 中村紀洋

    中村紀洋から見た岩瀬仁紀

    は新加入のアレックス・ラミレスの故障により、「4番・三塁手」で開幕スタメン出場。その後も主に三塁手や一塁手でスタメン出場。開幕直後から高い得点圏打率を維持し、4月15日の読売ジャイアンツ戦で、延長11回、サヨナラ本塁打を放つ。5月4日の中日戦で岩瀬仁紀から同点本塁打を打ち、史上22人目の全球団から本塁打を達成した(交流戦を除いた記録としては4人目)。2004年以来8年ぶりのオールスターにも選出され、7月20日のオールスターゲーム第1戦では逆転決勝2ラン本塁打を放ち、5人目となる両リーグでのMVP獲得。後半戦開幕後も好調を維持していたが、8月15日対阪神タイガース戦において、自身の打席で盗塁をした内村賢介にベンチで説教した。だが、内村には首脳陣からグリーンライトの権利が与えられているため、中村の叱責は采配批判にあたるとして中畑清監督から厳しく注意された。さらに、翌日の試合で右肘痛を訴え、試合途中にベンチ裏に姿を消したことが造反とみなされ、1軍登録を抹消された。9月4日に1軍に再登録。後半戦は数字を落とすも、チームは最下位を独走する中で主軸として活躍を見せた。ゴールデングラブ賞の投票では一塁手として2票差の2位。中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

  • 中村紀洋

    中村紀洋から見た落合博満

    2007年2月25日、育成枠での中日入団が決定(年俸400万円)。背番号は205。これは中日の育成選手が慣例として200番台を与えられることと、近鉄時代に背番号5を着用していた中村に落合博満が配慮したものである。中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

  • 中村紀洋

    中村紀洋から見た中田賢一

    は開幕カードは代打要員だったが、程なくして三塁手のレギュラーに定着。5月1日のヤクルト戦(横浜スタジアム)でNPB/MLB通算2000本安打を本塁打で達成。イチロー、松井秀喜、松井稼頭央に次いで日本人選手として史上4人目の記録となったが、「日本のみで2000本を打ちたい」という本人の意向を汲んでセレモニーなどは行われなかった(「ドジャース時代の5安打は加算したくない」とも話していた。)。そして5月5日、ナゴヤドームでの古巣中日戦で8回に中田賢一から左中間を破る2点二塁打を放ち、通算2162試合目で史上43人目のNPB通算2000安打を達成した5球団に所属しての2000安打達成は加藤英司に次いで二人目。また、2162試合での到達は史上4番目の遅さ、39歳9か月での到達は8番目に遅い記録。ちなみに、チームメイトのラミレスも同年NPB通算2000本安打達成。6月30日の中日戦では山本昌から先制のソロ本塁打を放ち、史上18人目の400本塁打を達成した。同試合では9回裏にサヨナラ安打を放った。最終的にはこの年も安定した成績を残した。中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

  • 中村紀洋

    中村紀洋から見たアレックス・ラミレス

    は新加入のアレックス・ラミレスの故障により、「4番・三塁手」で開幕スタメン出場。その後も主に三塁手や一塁手でスタメン出場。開幕直後から高い得点圏打率を維持し、4月15日の読売ジャイアンツ戦で、延長11回、サヨナラ本塁打を放つ。5月4日の中日戦で岩瀬仁紀から同点本塁打を打ち、史上22人目の全球団から本塁打を達成した(交流戦を除いた記録としては4人目)。2004年以来8年ぶりのオールスターにも選出され、7月20日のオールスターゲーム第1戦では逆転決勝2ラン本塁打を放ち、5人目となる両リーグでのMVP獲得。後半戦開幕後も好調を維持していたが、8月15日対阪神タイガース戦において、自身の打席で盗塁をした内村賢介にベンチで説教した。だが、内村には首脳陣からグリーンライトの権利が与えられているため、中村の叱責は采配批判にあたるとして中畑清監督から厳しく注意された。さらに、翌日の試合で右肘痛を訴え、試合途中にベンチ裏に姿を消したことが造反とみなされ、1軍登録を抹消された。9月4日に1軍に再登録。後半戦は数字を落とすも、チームは最下位を独走する中で主軸として活躍を見せた。ゴールデングラブ賞の投票では一塁手として2票差の2位。中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

  • 中村紀洋

    中村紀洋から見た山本昌

    は開幕カードは代打要員だったが、程なくして三塁手のレギュラーに定着。5月1日のヤクルト戦(横浜スタジアム)でNPB/MLB通算2000本安打を本塁打で達成。イチロー、松井秀喜、松井稼頭央に次いで日本人選手として史上4人目の記録となったが、「日本のみで2000本を打ちたい」という本人の意向を汲んでセレモニーなどは行われなかった(「ドジャース時代の5安打は加算したくない」とも話していた。)。そして5月5日、ナゴヤドームでの古巣中日戦で8回に中田賢一から左中間を破る2点二塁打を放ち、通算2162試合目で史上43人目のNPB通算2000安打を達成した5球団に所属しての2000安打達成は加藤英司に次いで二人目。また、2162試合での到達は史上4番目の遅さ、39歳9か月での到達は8番目に遅い記録。ちなみに、チームメイトのラミレスも同年NPB通算2000本安打達成。6月30日の中日戦では山本昌から先制のソロ本塁打を放ち、史上18人目の400本塁打を達成した。同試合では9回裏にサヨナラ安打を放った。最終的にはこの年も安定した成績を残した。中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

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    中村紀洋から見た若松勉

    6月15日、父の日に日本メンズファッション協会・日本ファーザーズ・デイ委員会が主催する「2008年度ベスト・ファーザー イエローリボン賞」を、同年から12球団から1人ずつ選定することを受けて、中日から選出された。京セラドーム大阪でのオリックス対中日戦の試合前に行われた授賞式では、「芸能人がもらう賞だと思っていた。縁がないと思っていたので嬉しい」と大いに照れながら、近鉄・オリックス時代の元同僚・北川博敏と共に表彰された。試合直前には娘3人と記念撮影。4月14日に自身2回目のFA権を取得するが、当初FA宣言には否定的な姿勢で「そんなことより来季契約してくれるだろうか、そのことが心配です」と語っていた。FA権を再取得したことも記者に尋ねられるまではその時期にきたことを知らなかったと言っていた。5月7日から自身が出演する浜乙女のラジオCM(東海ラジオ ガッツナイターのみ)が放送開始。6月17日、石川県立野球場での対西武戦で大沼幸二から2ラン本塁打を放ち、通算100猛打賞を達成。また次の打席で、元同僚の岡本真也からサヨナラソロ本塁打を放ち、通算サヨナラ本塁打記録が9本となり、王貞治・若松勉を抜き歴代3位となった。この年は打率.274と前年より下がるもホームランは24本放ち、前年同様勝負強さを見せた。11月、中日残留も視野に入れつつ「他球団からの評価も聞いてみたい」として2度目のFA権行使。11月25日に東北楽天ゴールデンイーグルスと1回目の入団交渉を行った。中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

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    中村紀洋から見た木田優夫

    、「帰ってきたで」というキャッチコピーのポスターが製作され、ドラフトによる西武入団から20年ぶりに出身地である関西地方へ戻ってきた清原和博との共演が話題となるが、開幕前に右足に肉離れを起こし、4月28日に左手親指を捻挫。更に5月13日の対ヤクルト戦で木田優夫からの死球を左手首に受けて負傷。負傷した箇所をかばいながら出場している間に右手首も痛めるという故障続きのシーズンとなる。8月11日に左肘に死球を受け途中交代するとその後は試合出場がなく、日本球界復帰1年目は85試合出場、328打数、76安打、打率.232でシーズンを終える。二塁打22、本塁打12はチーム2位を記録したが、チームに大きく貢献できたとは言えなかった。期待外れの印象が強く、チームも主軸を固定できなかったことが響き、前年を下回るシーズン5位に終わった。9月に左手首を手術。中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

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