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    中村紀洋から見た近藤一樹

    1500三振:2010年8月18日、対オリックス・バファローズ21回戦(スカイマークスタジアム)、5回表に近藤一樹から ※史上10人目中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

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    中村紀洋から見た山崎武司

    打撃の人の印象が強いが、三塁手としてゴールデングラブ賞を7度獲得している。中日からFA宣言をした理由も「三塁手としては使えない」と判断されたからで、三塁手というポジションには強いこだわりがある。また、近鉄時代は強肩を買われ、2001年の日本シリーズ第4戦をはじめ度々遊撃手として出場した。ラスベガスでは本職である三塁の他に遊撃、一塁、二塁も守った。中日時代の2007年シーズン中盤から2008年まではリードしている試合の終盤になると守備に難のあるタイロン・ウッズに代わって一塁手に回ることも多かった(三塁には森野将彦が入る)。このシフトは腰を痛めている中村への配慮もあった。楽天移籍後もスターティングメンバーの一塁手にはDHを兼務する守備に難のある、またベテランや外国人の長距離砲(フェルナンデス、山崎武司など)が入ることが多かったため、やはり終盤になると一塁手に回ることも多かった。また、草野大輔も本職が三塁手であることから、草野が二塁に回ることもあったが、中村が一塁手としてスタメン出場することもあった。一塁手としての経験は決して長くないものの、俊足の打者走者が走ってくる際どい場面で大きく股を開いての捕球を非常に素早い動作で行ってみせるなど、その守備力はプロとしての水準以上に達している。中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

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    中村紀洋から見た大沼幸二

    6月15日、父の日に日本メンズファッション協会・日本ファーザーズ・デイ委員会が主催する「2008年度ベスト・ファーザー イエローリボン賞」を、同年から12球団から1人ずつ選定することを受けて、中日から選出された。京セラドーム大阪でのオリックス対中日戦の試合前に行われた授賞式では、「芸能人がもらう賞だと思っていた。縁がないと思っていたので嬉しい」と大いに照れながら、近鉄・オリックス時代の元同僚・北川博敏と共に表彰された。試合直前には娘3人と記念撮影。4月14日に自身2回目のFA権を取得するが、当初FA宣言には否定的な姿勢で「そんなことより来季契約してくれるだろうか、そのことが心配です」と語っていた。FA権を再取得したことも記者に尋ねられるまではその時期にきたことを知らなかったと言っていた。5月7日から自身が出演する浜乙女のラジオCM(東海ラジオ ガッツナイターのみ)が放送開始。6月17日、石川県立野球場での対西武戦で大沼幸二から2ラン本塁打を放ち、通算100猛打賞を達成。また次の打席で、元同僚の岡本真也からサヨナラソロ本塁打を放ち、通算サヨナラ本塁打記録が9本となり、王貞治・若松勉を抜き歴代3位となった。11月、中日残留も視野に入れつつ、「他球団からの評価も聞いてみたい」と2度目のFA権行使。11月25日に東北楽天ゴールデンイーグルスと1回目の入団交渉を行い、11月29日に正式に楽天への移籍を表明。楽天球団初のFA加入選手となった。中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

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    中村紀洋から見た梨田昌孝梨田 昌孝

    7月14日にFA権を取得。右足首痛、持病の腰痛をこらえ、52打席ぶりの一発。11月5日にはFA宣言し、シーズン終了後から「中村紀洋というブランドをまず考えて、近鉄で終わっていいのか」と悩み抜いた末に、FA宣言することを決めたという。12月19日には700万ドルでの2年契約プラス3年目のオプション600万ドルでニューヨーク・メッツと契約合意したと報じられるが、12月20日にこれがメッツの公式HPに載ったことに「そんな球団は信用できない」と激怒し交渉を白紙に戻す。そのため、近鉄と再交渉を行い、監督の梨田昌孝らから慰留されると翻意し(この問題は、中日に決まりかけていたケビン・ミラーにも言及された)、12月21日には近鉄に残留を表明した(推定4年契約20億円プラス出来高払い)。この件について中村は「確かにメッツと契約寸前までいっていた。しかしマスコミ関係から合意のネタが飛んできた。ルール違反する球団とは契約できない」とコメントし、代理人を務めた音楽プロデューサーの茂田雅美も当初は「守秘義務に違反したメッツの勇み足だった」とメッツの姿勢を批判したが、後にMLB機構とメッツから「中村側が違約の根拠としている公式ホームページの文書はMLB機構や球団の認可を受けたものではない上に、問題の記事はメッツと無関係の人物の情報に基づいている。今回の交渉に関し、メッツのルール破りは一切ない。また中村と彼のアドバイザーの茂田氏は各球団が選手との契約に先立ち契約内容をMLBに報告する必要があることを知らないと思われる。健康診断にパスした時点で拘束力のある合意が成立する」との声明が出され、茂田氏はこれを受けて「メッツが言うように、合意していたということに関して異論はない」と認め、中村の「メッツのルール違反」というコメントについて「あれは彼の言葉が足らなかった」と語った(音楽プロデューサーを本職とする茂田氏が代理人を務めたのは、中村が節税を目的に設立した会社の監査役を務めた縁から)。中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

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    中村紀洋から見た野村克也

    4月5日、札幌ドームでの対北海道日本ハムファイターズ戦でブライアン・スウィーニーから移籍後初本塁打。この日は4安打5打点と大当たりだった。その後は本塁打も全く出ず打率も低調、また持病の腰痛も悪化したこともあり、6月9日から6月25日まで登録を抹消された。一軍復帰後、7月11日の対ソフトバンク戦で佐藤誠から71試合ぶりとなる本塁打を放った。シーズンの前半戦終了時、監督の野村克也は打率2割前後、わずか2本塁打という不調に低迷した中村に対し、「ノリは誤算。もう少し打つと思ったが…」と語った。その後も調子は戻らず8月3日に一軍登録を抹消されると、再登録されることなくシーズンを終えた。結局加入1年目は打率.221、本塁打2本、26打点と、期待とは大きくかけ離れた成績となってしまった。中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

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    中村紀洋から見た内海哲也

    3500塁打:2012年9月28日、対読売ジャイアンツ戦20回戦(横浜スタジアム)、2回裏に内海哲也から右前安打 ※史上26人目中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

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    中村紀洋から見た掛布雅之

    、開幕前に背番号を、西武ライオンズに移籍した義兄・村上嵩幸の着けていた5に変更。4番打者として活躍し、打点王を獲得した。3・4番合計101本塁打(タフィ・ローズ55本、中村46本)は、での阪神(ランディ・バース54本、掛布雅之40本)を上回る最多記録を更新。翌シーズンにFA権の取得が予想される中、近鉄から複数年契約(推定6年契約35億円)を提示される。しかし、12月26日に「1か月で判断するのは難しかった」と複数年契約を拒否し、推定年俸5億円プラス出来高払い1億円の単年契約を結ぶ。大阪教育大附属池田小学校の慰問活動が評価され第3回ゴールデンスピリット賞を受賞している。中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

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    中村紀洋から見たターメル・スレッジ

    6月8日に一軍登録され、同日の楽天戦(Kスタ)に「7番・一塁手」でスタメン出場した。6月18日、横浜スタジアムでの福岡ソフトバンクホークス戦で代打で出場し、杉内俊哉から移籍後初本塁打。この本塁打で同点に追いつき、ターメル・スレッジの本塁打でチームは勝利した。この年は当初は代打要員がメインだったが、正一塁手のブレット・ハーパーが左投手相手に弱く、守備面でも不安があるため、対左投手時のスタメンや守備固めでの起用も増えた。10月13日の阪神戦(横浜スタジアム)では正遊撃手の石川雄洋及び二遊間両方を守れる藤田一也が負傷し、正二塁手の渡辺直人が遊撃手に回る状況の中、その代役で二塁手として起用されていた山崎憲晴が失策を連発したため、急遽プロ入り初めて二塁手でスタメン出場した。最後まで一軍登録を抹消されることは無く、62試合に出場したものの、打率.209、1本塁打、14打点と物足りない成績に終わった。中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

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    中村紀洋から見た草野大輔

    打撃の人の印象が強いが、三塁手としてゴールデングラブ賞を7度獲得している。中日からFA宣言をした理由も「三塁手としては使えない」と判断されたからで、三塁手というポジションには強いこだわりがある。また、近鉄時代は強肩を買われ、2001年の日本シリーズ第4戦をはじめ度々遊撃手として出場した。ラスベガスでは本職である三塁の他に遊撃、一塁、二塁も守った。中日時代の2007年シーズン中盤から2008年まではリードしている試合の終盤になると守備に難のあるタイロン・ウッズに代わって一塁手に回ることも多かった(三塁には森野将彦が入る)。このシフトは腰を痛めている中村への配慮もあった。楽天移籍後もスターティングメンバーの一塁手にはDHを兼務する守備に難のある、またベテランや外国人の長距離砲(フェルナンデス、山崎武司など)が入ることが多かったため、やはり終盤になると一塁手に回ることも多かった。また、草野大輔も本職が三塁手であることから、草野が二塁に回ることもあったが、中村が一塁手としてスタメン出場することもあった。一塁手としての経験は決して長くないものの、俊足の打者走者が走ってくる際どい場面で大きく股を開いての捕球を非常に素早い動作で行ってみせるなど、その守備力はプロとしての水準以上に達している。中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

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    中村紀洋から見た高橋尚成

    1500本安打:2007年9月26日、対読売ジャイアンツ24回戦(東京ドーム)、1回表に高橋尚成から左前安打 ※史上95人目中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

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