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中村紀洋から見た横浜スタジアム
6月8日に一軍登録され、同日の楽天戦(Kスタ)に「7番・一塁手」でスタメン出場した。6月18日、横浜スタジアムでの福岡ソフトバンクホークス戦で代打で出場し、杉内俊哉から移籍後初本塁打。この本塁打で同点に追いつき、ターメル・スレッジの本塁打でチームは勝利した。この年は当初は代打要員がメインだったが、対左投手時のスタメンや守備固めでの起用も増えた。10月13日の阪神戦(横浜スタジアム)では、急遽プロ入り初めて二塁手でスタメン出場した。最後まで一軍登録を抹消されることは無く、62試合に出場したものの、打率.209、1本塁打、14打点の成績に終わった。(中村紀洋 フレッシュアイペディアより)
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中村紀洋から見た内村賢介
は新加入のアレックス・ラミレスの故障により、「4番・三塁手」で開幕スタメン出場。その後も主に三塁手や一塁手でスタメン出場。開幕直後から高い得点圏打率を維持し、4月15日の読売ジャイアンツ戦で、延長11回、サヨナラ本塁打を放つ。5月4日の中日戦で岩瀬仁紀から同点本塁打を打ち、史上22人目の全球団から本塁打を達成した(交流戦を除いた記録としては4人目)。2004年以来8年ぶりのオールスターにも選出され、7月20日のオールスターゲーム第1戦では逆転決勝2ラン本塁打を放ち、5人目となる両リーグでのMVP獲得。後半戦開幕後も好調を維持していたが、8月15日対阪神タイガース戦において、自身の打席で盗塁をした内村賢介にベンチで説教した。だが、内村には首脳陣からグリーンライトの権利が与えられているため、中村の叱責は采配批判にあたるとして中畑清監督から厳しく注意された。さらに、翌日の試合で右肘痛を訴え、試合途中にベンチ裏に姿を消したことが造反とみなされ、1軍登録を抹消された。9月4日に1軍に再登録。後半戦は数字を落とすも、チームは最下位を独走する中で主軸として活躍を見せた。ゴールデングラブ賞の投票では一塁手として2票差の2位。(中村紀洋 フレッシュアイペディアより)
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中村紀洋から見たアーロム・バルディリス
はアーロム・バルディリスが一軍確約契約で加入し、一塁手にはトニ・ブランコがいたため、開幕当初は1軍メンバーから外れたが、トニ・ブランコの故障もあり、戦力不足に喘いだ中畑監督自身が本人に懇願する形で直接電話で連絡して1軍昇格させた。沈んでいたチームにナイジャー・モーガンのTポーズを復活させ、チームを軌道にのせた。しかし5月6日の対巨人戦で「チーム方針に従わない言動があった」として登録抹消される。コーチに「自分の打席では、場面によっては走者を動かさず、打席に集中させてほしい」と相談したことが、中畑監督から采配批判とみなされた。これ以降は一度も1軍に昇格することはなかった。10月3日に球団から戦力外通告を受けた。DeNA球団は球界での実績や在籍時の貢献度が特に高かったことを改めて認め本拠地最終戦にあたる対ドラゴンズ戦で引退セレモニーを提案したが、中村は現役続行への強い意思があるとしてこれを拒否。最終的に同年は13試合の出場で打率.245、打席ではケースバッティングを心がけたため打点王ペースで打点を刻む10打点ながらも、2005年のドジャース時代を除けば1993年以来21年ぶりとなる本塁打0を記録。12月2日に自由契約公示された。(中村紀洋 フレッシュアイペディアより)