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ノルトゼートゥーア作戦から見た中東
12月24日、フィニステレ岬西方でレーダーがWS5A船団を捉えた。この船団は中東へ兵員を運ぶ船団で重巡洋艦ベリック、軽巡洋艦ボナヴェンチャー、ダニーディンなどに護衛されていた。翌朝、船団を追跡していたアドミラル・ヒッパーの見張りが重巡洋艦ベリックを発見、6時39分にアドミラル・ヒッパーはベリックに対し砲撃を開始した。また、船団の船に対しても攻撃をおこない、エンパイア・トルーパーとアラビスタンに損害を与えた。ベリックも6時42分に砲撃を開始し、2隻の軽巡洋艦も現れた。これを駆逐艦と誤認し、魚雷攻撃を恐れてアドミラル・ヒッパーは距離をとった。(ノルトゼートゥーア作戦 フレッシュアイペディアより)
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アジア動向年報から見た中東
アジア動向年報は、アジア経済研究所が発行しているアジア各国の政治経済情勢を一年毎にまとめた年鑑。扱う対象は、ロシア極東を含む東アジア、東南アジア、南アジア各国のほとんどを含む。主権国家のほか、かつてイギリスの植民地であり、現在は中国の主権に属している香港特別行政区も含まれる。また、台湾も国家としての正式名称である中華民国を用いていないが、実質的に他国と同様に扱っている。一時期、中東諸国も対象とし、アジア中東動向年報の名称で発行された時期もある。また、幕張地区への移転前は、発行元がアジア経済研究所本体ではなく、その外郭団体たるアジア経済出版会であった。(アジア動向年報 フレッシュアイペディアより)
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東亜経済調査局から見た中東
1908年に満鉄の調査機関の一つとして東京支社の管轄下に設置され、当初は世界経済の調査分析を担当していたが、1920年代以降大川周明によって主宰されるようになると、次第に東南アジア地域の調査研究に活動の重心を移した。1929年から財団法人として満鉄から独立、大川を理事長とした。1939年の満鉄調査部の拡充に伴い再び満鉄に統合され、「大調査部」に属してイスラム世界・東南アジア・オーストラリアを担当地域とする分局となった。回教圏研究所と並ぶ戦時期イスラム研究の中心として、前嶋信次など第二次世界大戦後の代表的な中東研究者・アジア研究者を育てたことでも知られる。(東亜経済調査局 フレッシュアイペディアより)