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織田信長から見た中濃
永禄9年(1566年)、加治田城主・佐藤忠能と加治田衆を味方にして中濃の諸城を手に入れ(堂洞合戦、関・加治田合戦、中濃攻略戦)、勢力圏とし、義弟斎藤利治を佐藤忠能の養子とし、二代目加治田城主として、斎藤道三の正式な美濃斎藤氏後継者として有力国人衆美濃佐藤氏と加治田衆を与力とし親族衆として支配した。さらに西美濃三人衆(稲葉良通・氏家直元・安藤守就)などを味方につけた信長は、ついに永禄10年(1567年)、斎藤龍興を伊勢国長島に敗走させ、尾張・美濃の2ヶ国を領する大名になった(稲葉山城の戦い)。このとき、井ノ口を岐阜と改称した(『信長公記』)。(織田信長 フレッシュアイペディアより)
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