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中畑清から見た国際オリンピック委員会
のアテネオリンピック野球日本代表のヘッドコーチを務め、監督の長嶋茂雄が病床に伏してからはチームの指揮を執った。本大会では、国際オリンピック委員会の規定により長嶋の監督登録が認められなかったため正式に監督に就任したが、オーストラリアに準決勝で敗退し、銅メダル止まりに終わった。中畑は、敗因を当時中日の監督だった落合が協力を拒んだせいにしていたが、落合は負けたのは中畑の野球に問題があったからと後の講演会で中畑を批判している。なお、代表は対戦するまでオーストラリアを「やりやすい相手」と見ていたが、捕手で元中日のニルソン(日本在籍時の登録名はディンゴ)には日本での経験を生かして研究されて下に見られていたことを敗戦後に知ったと後のインタビューで明かしている。さらに、中畑は対戦相手国の代表チームの試合の視察には行かず、観光に行ったり他の競技の試合を観戦していたことが後に報じられている。同オフ、巨人から助監督を要請されたが固辞した。(中畑清 フレッシュアイペディアより)
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中畑清から見たオリックスバファローズ
は打線強化としてオリックスバファローズからアーロム・バルディリスを獲得した。だがチームは前年同様の低調な戦いが目立った上、前年の首位打者のブランコの故障、抑えのソーサの故障やブランコに変わり一軍に昇格して低打率ながら13試合に出場時点で10打点と活躍していた中村紀洋から采配批判され懲罰降格させるなど主力選手の離脱が響いた。一方で前年抑えから中継ぎに降格してこの年も中継ぎで不振だった山口を7年ぶりに先発に再転向させた。9月2日の阪神戦で暴力行為で退場処分、審判員への度重なる暴力行為が問題視され、労組審判支部から球団へ抗議文が送られ、GM補佐の山下大輔(当時)から説明を受けた。(中畑清 フレッシュアイペディアより)
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中畑清から見た日米野球
当時巨人は王貞治、張本勲、土井正三、高田繁らが現役で活躍し選手層が厚かったため、入団後3年間は1軍での出番に恵まれなかったが、3年目オフのに開催された日米野球第1戦のシンシナティ・レッズ対巨人戦で、高田に代わって途中出場してマリオ・ソトから2点本塁打を放った。この日は試合前、コンタクトレンズをなくして何も見えない状態だったが、妻が後楽園球場まで届けた新品のおかげでよく見えるようになったという。レッズ監督のスパーキー・アンダーソンは、長嶋に「あの三塁手(中畑)はハッスルしてファイティング・スピリットに溢れているのがいい。バッティングは荒削りだけど、ぜひ使うべきだ」と進言している。日米野球での活躍がきっかけとなり、に一軍に定着。三塁手の高田が怪我で離脱した際に先発で起用され、高田の復帰後もレギュラーを守った。この年の新人王の資格もあったがシーズン終盤で骨折し、新人王はならなかった。(中畑清 フレッシュアイペディアより)