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    中畑清から見た日本プロ野球選手会

    現役時代は巨人で活躍し、巨人軍第45代4番打者を務めた。日本プロ野球選手会初代会長。2004年アテネオリンピック野球日本代表監督。2012年より横浜DeNAベイスターズ監督。中畑清 フレッシュアイペディアより)

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    中畑清から見た広島東洋カープ

    新人の頃に広島東洋カープの抑えだった江夏豊と対戦。中畑曰く、江夏はマウンドに上ると新しいボールを毛嫌いし、毎回ボールに土をすりこんでいたという。そこで、当時打撃コーチであった国松彰から「ボールを替えてもらえ」との指示が中畑に飛んだ。中畑は渋々、ボールを1球投げたところでボールの交換を要求した。捕手も嫌々ながら新しいボールと交換して江夏にボールを渡した。すると江夏が中畑を凝視しながらマウンドから降り、中畑の手前2mほどまで近づいて、「おい若造、ボール替えてくれ? 10年早いんや!」と凄まれ、思わず「すいません!」と謝ったという。中畑はこの打席で頭の高さほどのボール球を振って三振し、即2軍落ちになった。この後の江夏との対戦はまったく打てなかったという。中畑清 フレッシュアイペディアより)

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    中畑清から見た阪神甲子園球場

    、監督復帰した藤田により三塁への再コンバートが試みられたが、シーズン序盤、甲子園での試合中に牽制球で一塁に戻った際に指を痛め、長期戦線を離脱。その間に三塁は一塁から岡崎郁が、また一塁も外野から駒田徳広が定着したこともあり、定位置を失った中畑はこの年終盤に早々と引退を表明した。リーグ優勝を決めた試合(大洋戦・横浜スタジアム)で二塁打を放った際に球場に起こったウェーブについて、自分が日本の球場で最初に起こしたもの、と発言している。現役最後の試合となった同年に行われた近鉄との日本シリーズ第7戦(藤井寺球場)では、吉井理人から本塁打(この後、もう1打席回ったが、最終打席は三塁フライに終わった)を放ち、有終の美を飾った。中畑清 フレッシュアイペディアより)

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    中畑清から見た藤田元司

    初の規定打席に到達したの秋、長嶋が監督を辞任し王も引退。入れ替わるように、大学野球のスター選手で中畑と同じ三塁手の原辰徳が入団したが、新監督の藤田元司ら首脳陣は原を二塁にコンバートさせた。しかし中畑はシーズン途中怪我で戦線離脱。その間に原が三塁にコンバートされ、二塁には元々守備には定評のあった篠塚が入り、.357という高打率を記録しレギュラーに定着。一塁は長年大洋の顔として2000本安打を記録をし、この年巨人へ移籍した松原誠が守ったが、中畑が戦線復帰すると松原に代わり一塁に収まり、その後も一塁手として出場することになった。この年巨人は1973年のV9以来の日本一を奪回し、中畑も規定打席に到達したシーズンでは自己最高打率の.322、16本塁打、66打点という成績をあげた。中畑清 フレッシュアイペディアより)

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    中畑清から見た益山性旭

    初本塁打:1979年5月1日、対阪神タイガース4回戦(後楽園球場)、2回裏に益山性旭からソロ中畑清 フレッシュアイペディアより)

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    中畑清から見た松本幸行

    初打点:1978年7月13日、対中日ドラゴンズ16回戦(ナゴヤ球場)、5回表に西本聖の代打として出場、松本幸行から同点適時打中畑清 フレッシュアイペディアより)

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    中畑清から見た吹石徳一

    1953年(昭和28年)度生まれのプロ野球選手(梨田昌孝、落合博満、真弓明信、吹石徳一など)による親睦会「二八会」(にっぱちかい)の会長を務めている。中畑清 フレッシュアイペディアより)

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    中畑清から見た青空うれし

    野球のごっちゃ煮(2005年10月、刷仙書房)…国立国会図書館の所蔵情報 ※青空うれしとの共著(中畑は監修としてクレジット)。中畑清 フレッシュアイペディアより)

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    中畑清から見た平田薫 (野球)

    「駒澤三羽ガラス」(「駒大トリオ」)と呼ばれた平田薫、二宮至とともに1975年のプロ野球ドラフト会議の目玉となる。巨人からの1位指名が有力視され駒澤大学の合宿所に報道陣が殺到したが、銚子商業の篠塚利夫が1位指名された。報道陣が帰って行くのを見て中畑は別室で将棋をしていたが、3位指名されたと聞き慌てて戻った。「高卒の人間に先に指名された」とがっかりした反面、ファイトが増したという。中畑は北海道拓殖銀行への就職が内定していたが、当時監督だった長嶋の存在などが後押しとなりプロ入りを決意。指名されなかった平田と二宮も一緒なら入団すると申し入れ、巨人もこれを受け入れた(2人はドラフト外で巨人に入団)。中畑清 フレッシュアイペディアより)

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    中畑清から見た末次利光

    、守備走塁コーチの末次利光が最終戦で3割前後の選手の打率を1打席ごとに電卓で計算し、3割に乗ったところで交代させたため、打率は3割ジャストであった。この点を指摘された中畑は「3割だけは契約更改の席の印象が変わるので勘弁してほしい。その代わり、もし自分がタイトル争いをしたら絶対休まない」と返答した(実際に中畑は駒澤大学時代に最終戦まで出場して首位打者を逃した経験があった。プロでは1987年に篠塚、正田耕三、落合博満らと一時首位打者争いをしたが、結局タイトルは獲得できなかった)。中畑清 フレッシュアイペディアより)

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