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中舘英二から見た東京優駿
同年3月に初戦を迎え、5月6日にトドロキキングで初勝利を挙げる。しかし以後二度の騎乗停止処分を受けるなど精彩を欠き、初年度は7勝に終わった。しかし翌1985年は、加藤の後押しもあり39勝と躍進。さらに当年の秋から厩舎の期待馬であるアサヒエンペラーの主戦騎手を任された。しかし自身の騎乗ミスもあり皐月賞、東京優駿といった大競走でいずれも惜敗し、ファン・評論家などから批判を集める結果となった。のちに中舘は「あれがあったから、今もめげないで頑張れるんだと思います」と語っている。以後は騎乗数の少なさもあり、長らく年間20-30勝前後の成績で推移する中堅騎手として過ごした。(中舘英二 フレッシュアイペディアより)
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中舘英二から見たスプリンターズステークス
ヒシアマゾンの登場と前後して騎乗依頼が増え始め、1990年代後半からは関東の上位騎手として定着。2000年以降は主戦場をローカル開催に移して騎乗数を増やし、2001年には自身初の年間100勝を達成した。2005年から2009年までは毎年100勝以上の成績を維持し、2005年、2006年には目標としていたワールドスーパージョッキーズシリーズ出場を果たしている。2007年にはアストンマーチャンでスプリンターズステークスを制し、ヒシアマゾンのエリザベス女王杯以来13年ぶりのGI勝利。2009年3月には史上12人目となる通算1500勝を達成した。2013年もローカル中心ながらも順調に勝ち鞍を伸ばしていたが、5月29日付けの自己のブログで「勉強の時間を取りたい」と発言し、これまでレースの騎乗記などを書いていたブログの更新を今後行わない旨の意思を明らかにした。また騎乗自体はその前週を最後に騎乗をしていなかったが、10月26日の新潟競馬で復帰した。(中舘英二 フレッシュアイペディアより)