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くまモンから見た九州
モチーフがクマであることは明白である。ただし、熊本県を含む九州では1930年代までにツキノワグマを含むクマは絶滅したとするのが定説となっていた。とは言え、当時から狩猟に従事する者や登山家を中心に目撃例等の報告がある。当時以降の林野庁の狩猟統計等によれば、大分県および宮崎県において捕獲記録があるが、これらは本州からの移入個体またはその子孫とされ、九州由来個体群は絶滅した可能性が高いとされた。熊本県において、DNA分析による九州由来個体群のクマ類が野生に存在することを証明することは、現状では困難である。なお、九州におけるツキノワグマは、1957年(昭和32年)が最後の確認例とする報告もある。また、2012年(平成24年)に環境省は同種を九州における絶滅種と指定した。(くまモン フレッシュアイペディアより)
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東北地方太平洋沖地震から見た九州
地質調査や文献調査では、南海トラフ沿いにおいて20世紀中盤から、関東地域において20世紀終盤から広く認識されていた一方、東北太平洋沖、北海道や千島列島の太平洋沖、九州や南西諸島の太平洋沖ではそれぞれ21世紀に入ってから(特に2004年のスマトラ島沖地震以降)その可能性を示す知見が得られつつあった程度で、地震学界でも強く認識されていなかった。そのため、被害想定でもM8前後の海溝型地震までしか想定されていなかった。本地震後、新たな知見の集約や地震想定を見直す動きが活発化している(参照)。(東北地方太平洋沖地震 フレッシュアイペディアより)
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寒冬から見た九州
12月は平年並みか暖冬であったが、南西諸島と九州で寒冬となった。西日本全体では2月の気温が高かったためにトータルでは平年を0.4℃しか下回らなかった(当時の平年値では平年並みであったが、現在の平年値では寒冬になっている)が、1月までは記録的な寒冬となった。特に12月23日から1月末にかけて、西日本や南西諸島ではほぼ一貫して寒気に覆われた。1月の平均気温の平年比は九州で-2.9 - -3.0℃となり1963年以来の低さを記録した。場所によっては-3.0℃を下回った。2月1日には沖縄県那覇市で最低気温8.7℃を記録し、平成になって以来最低気温を記録した。その他の地域でも北海道を除き、平年比-1.0℃を超える顕著な負偏差となった。全国平均でも平年を1.61℃下回り、1986年以来、25年ぶりの低温になった。山陰地方や東北地方の内陸部では特に雪が多く、各地で最深積雪記録を更新した。しかし、2月は一変して全国的な暖冬となった。特に、北海道は平年を1.9℃(当時の平年値では+2.4℃)も上回った。しかし、3月は再び低温に転じて春の訪れは遅かった。(寒冬 フレッシュアイペディアより)
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ヤマト王権から見た九州
墓制の面でみて、最も進んでいたのは山陰地方の出雲地域において作られた四隅突出墳丘墓であって、後の古墳時代の方墳や前方後円墳の原型となったと思われる。九州南部の地下式横穴墓、九州北部における甕棺墓、中国地方における箱式石棺墓、近畿地方や日向(宮崎県)における木棺墓など、それぞれの地域で主流となる墓の形態を持ち、土坑墓の多い東日本では死者の骨を土器につめる再葬墓がみられるなど、きわめて多様な地域色をもつ。方形の低い墳丘のまわりに溝をめぐらした方形周溝墓は近畿地方から主として西日本各地に広まり、なかには規模の大きなものも出現する故、各地に有力な首長があらわれたことが伺える。弥生時代における地域性はまた、近畿地方の銅鐸、瀬戸内地方の銅剣、九州地方の銅戈(中期)・銅矛(中期-後期)など宝器として用いられる青銅器の種類のちがいにもあらわれている。(ヤマト王権 フレッシュアイペディアより)