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鴨山城から見た九州
細川氏は足利家の一門として、室町幕府成立に深く関わり、またその発展に寄与したことはよく周知されている。細川満国の祖父頼春は足利尊氏に忠実であり、尊氏が九州へ落ちる際には四国へ分遣され平定を行っている。叔父である細川頼之は幕府管領に就き、幼少の足利義満を補佐するが、斯波家を中心とするクーデター「康暦の政変」で失脚し、父である頼元とともに四国に下る。後に義満により赦免を受け頼元は管領となった。頼元のあとは満元が細川宗家にあたる京兆家の後継として管領となった。満国は分家の形となり浅口郡、宇摩郡などの守護に任じられている。満国の子持春、孫の教春は下野守を名乗り、この一族を野州家と呼ぶこともある。なお細川氏は近畿一円、四国に勢力範囲を広げており、さらに中国地方への浸透の足掛りとして瀬戸内海沿いの備前国児島、備中国浅口の地などを選び築城したものと思われる。(鴨山城 フレッシュアイペディアより)
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シーデビル (潜水艦)から見た九州
11月19日、シーデビルは2回目の哨戒で日本近海および東シナ海方面に向かった。11月末に東シナ海に入って九州方面に進んだシーデビルは、12月1日深夜にレーダーで輸送船団と思われる複数の目標を探知。全速で攻撃位置に向かった。翌2日2時39分、シーデビルはの屋久島西方約150キロ地点で、先ほど探知したミ29船団を発見した。しかし、この時に波を被ってしまい、シーデビルの艦内の至る所に海水が入り込んでしまった。特に機関室や蓄電池室、司令塔が大きく浸水し乗組員は混乱したものの、幸いにも致命的なダメージにはならなかった。(シーデビル (潜水艦) フレッシュアイペディアより)
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アブラコウモリから見た九州
また、別名をアブラムシともいい、 という種小名はこれに由来する。アブラコウモリは、シーボルトが長崎で入手した標本によって西洋に紹介されたが、当時、九州北部で「アブラムシ」と呼んでいたために、その名称と共にヨーロッパへ渡ることとなった。『日本動物誌』にも として記載されており、長崎の建物の屋根裏などに見られることなどとともに、"Son nom japonais est Abramusi (insecte du lard)"(日本名は Abramusi(脂の昆虫)という)と説明されている。江戸時代には、この呼称は全国的にも一般的であったとされる。(アブラコウモリ フレッシュアイペディアより)