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大野右仲から見た五稜郭
著書『函館戦記』によれば、大野は明治2年(1869年)5月11日、千代ヶ岡陣屋で箱館市中に向かう土方歳三と合流し、共に一本木関門へ向かった。箱館港において旧幕府軍蟠竜丸が新政府軍朝陽丸を轟沈させたため、土方に命じられて弁天台場方面へ進撃。敗走する兵が続出していたが、大野は「奉行(土方)が、敗走兵を必ず関門で食い止めてくれる」と信じていたという。しかし、敗走兵が留まる様子が無いことに驚き千代ヶ岡陣屋へ引き返したところ、同役の大島寅雄・安富才助らから土方の戦死を知らされた。なお、土方を訪ねて五稜郭へ来た相馬主計に土方の死を伝えたともいわれている。また、大野は弁天台場で新選組隊士らと共に降伏したとされるが、異論もある。(大野右仲 フレッシュアイペディアより)
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5月18日 (旧暦)から見た五稜郭
明治2年(グレゴリオ暦1869年6月27日) - 榎本武揚らが最後の拠点・五稜郭を開城し新政府軍に降伏。戊辰戦争が終結し維新政府が全国を統一(5月18日 (旧暦) フレッシュアイペディアより)
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