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    五稜郭から見た杉浦梅潭

    大政奉還の後、新政府により箱館府が設置されると、五稜郭は、1868年(慶応4年)閏4月に箱館奉行・杉浦誠から箱館府知事・清水谷公考に引き渡され、箱館府が引き続き政庁として使用した。同年10月21日に榎本武揚率いる旧幕府軍が鷲ノ木(現在の森町)に上陸。箱館府は迎撃したものの各地で敗北、10月25日に清水谷知事が箱館から青森へ逃走し、10月26日に松岡四郎次郎隊が無人となった五稜郭を占領した。当時の五稜郭は大鳥圭介によれば「胸壁上には二十四斤砲備えたれども、射的の用には供し難し」「築造未だ全備せず、有事の時は防御の用に供し難き」という状態だったが、旧幕府軍は冬の間に、堤を修復し大砲を設置、濠外の堤や門外の胸壁を構築するなどの工事を行い、翌1869年(明治2年)3月に完成させた。五稜郭 フレッシュアイペディアより)

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    五稜郭から見た巌谷小波

    一万号記念桜樹碑の隣にあり、1915年(大正4年)に建てられた。1913年(大正2年)に作家・巌谷小波が来道の際に詠んだ句「其跡や其血の色を艸の花」が刻まれている。五稜郭 フレッシュアイペディアより)

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    五稜郭から見たスケートリンク

    1954年(昭和29年)には、函館で開催された北洋漁業再開記念北海道大博覧会(北洋博)の第二会場となった。北洋博で「観光館・お菓子デパート」として用いられた建物は、翌1955年(昭和30年)から市立函館博物館五稜郭分館となり、奉行所の復元工事に伴い、2007年(平成19年)11月に閉館するまで箱館戦争関連の品々を展示していた。また、発掘調査・復元工事が行われる以前には中央部の広場で地元の運動会や夏季の林間学校などが行われ、堀も水質が良好だった時代にはプールやスケートリンクとして使用されていた。五稜郭 フレッシュアイペディアより)

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    五稜郭から見た河津祐邦

    1856年(安政3年)11月、組頭・河津祐邦、調役並・鈴木孫四郎、下役元締・山口顕之進、諸術教授役・武田斐三郎らを台場並亀田役所土塁普請掛に任命し、1857年(安政4年)7月に五稜郭の築造を開始。建物については、1856年(安政5年)から郭外北側に役宅を建設、1861年(文久元年)に奉行所庁舎建設を開始した。施工は土木工事を松川弁之助、石垣工事を井上喜三郎、奉行所の建築を江戸在住の小普請方鍛冶方石方請負人中川伝蔵が請け負った。当初は、まず掘割と土塁工事、続いて建物工事、最後に石垣工事を行う計画だったが、この地は地盤が脆弱で冬季の凍結・融解により掘割の壁面が崩落したため、急遽石垣工事を先行させた。五稜郭 フレッシュアイペディアより)

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    五稜郭から見た函館市

    五稜郭(ごりょうかく)は、江戸時代末期に江戸幕府により蝦夷地の箱館(現在の北海道函館市)郊外に建造された稜堡式の城郭である。同時期に築城された長野県佐久市の龍岡城も稜堡式城郭であり「五稜郭」と呼ばれるが、単に「五稜郭」といえば函館の城郭とする場合も多い。五稜郭 フレッシュアイペディアより)

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    五稜郭から見た松川弁之助

    1856年(安政3年)11月、組頭・河津祐邦、調役並・鈴木孫四郎、下役元締・山口顕之進、諸術教授役・武田斐三郎らを台場並亀田役所土塁普請掛に任命し、1857年(安政4年)7月に五稜郭の築造を開始。建物については、1856年(安政5年)から郭外北側に役宅を建設、1861年(文久元年)に奉行所庁舎建設を開始した。施工は土木工事を松川弁之助、石垣工事を井上喜三郎、奉行所の建築を江戸在住の小普請方鍛冶方石方請負人中川伝蔵が請け負った。当初は、まず掘割と土塁工事、続いて建物工事、最後に石垣工事を行う計画だったが、この地は地盤が脆弱で冬季の凍結・融解により掘割の壁面が崩落したため、急遽石垣工事を先行させた。五稜郭 フレッシュアイペディアより)

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    五稜郭から見た津軽

    五稜郭内には、奉行所庁舎のほか、用人や近習の長屋、厩、仮牢など計26棟が建てられた。建材は津軽・南部・出羽など、瓦は能登・越後など、釘や畳は江戸というように各地から運ばれた資材が用いられた。なお、建材は能代などで予め加工し、現場では組立だけとすることで、経費節減に努めていた。五稜郭 フレッシュアイペディアより)

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    五稜郭から見た竹内保徳

    1854年(安政元年)3月、日米和親条約の締結により箱館開港が決定すると、江戸幕府は松前藩領だった箱館周辺を上知し、同年6月に箱館奉行を再置した。箱館奉行所は前幕領時代(1802年-1807年)と同じ基坂(当時は松前藩の箱館奉行詰役所があった)に置かれた。初代奉行の竹内保徳は松前藩の建物を増改築して引き続き使用する方針を示したが、続いて奉行に任命された堀利煕は、同所は箱館湾内から至近かつ遮るものがなく、加えて外国人の遊歩区域内の箱館山に登れば奉行所を眼下に見下ろすことができるので防御に適さず、亀田方面への移転が必要だと上申。そして竹内と堀は江戸に戻ると、箱館湾内からの艦砲射撃の射程外に位置する鍛冶村中道に「御役所四方土塁」を築いて奉行所を移転する意見書を老中・阿部正弘に出した。これが幕閣に受理され、五稜郭の建設が決定した。五稜郭 フレッシュアイペディアより)

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    五稜郭から見たミシュランガイド

    五稜郭は、2004年(平成16年)に「五稜郭と箱館戦争の遺構」として北海道遺産に選定されたほか、観光地の評価としては、ミシュラン・グリーンガイド・ジャパンで、「五稜郭跡」、「眺望(五稜郭跡)」が二つ星を獲得している。五稜郭 フレッシュアイペディアより)

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    五稜郭から見た建築基準法

    奉行所の復元に際し、当初、函館市は奉行所の建物全体の復元を計画したが、建築基準法では1,000平方メートルごとに防火壁を設置しなければならず、復元と防火壁の両立を文化庁と協議した結果、景観上芳しくないこともあり断念し、約1,000平方メートル以内の復元に留めることとなった。当時と同じ材料、同じ工法で、奉行所の南棟と中央棟部分が復元され、復元された奉行所は、平成23年度の北海道赤レンガ建築賞を受賞している。五稜郭 フレッシュアイペディアより)

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