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    五稜郭から見た札幌本道

    明治以降、五稜郭は兵部省から1873年(明治6年)には陸軍省)の所管となった。奉行所庁舎および付属建物の多くは、1871年(明治4年)に札幌の開拓使本庁舎建設の資材とする目的で解体されたが、実際には札幌に運ばれず、札幌本道の工事や蓬莱町遊郭の建設資材として使われた。五稜郭 フレッシュアイペディアより)

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    五稜郭から見た指定管理者

    国の特別史跡に指定され、「五稜郭と箱館戦争の遺構」として北海道遺産に選定されている。なお五稜郭は文化庁所管の国有財産であり、函館市が貸与を受け、函館市住宅都市施設公社(指定管理者)が管理している。五稜郭 フレッシュアイペディアより)

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    五稜郭から見た亀田川

    総堀のほか、郭内への入口3ヶ所の両側に幅4メートルの空堀が造られた。総堀の幅は最も広い所で約30メートル、深さは約4ないし5メートル、外周は約1.8キロメートル。築造当時、五稜郭の裏手約1キロメートル離れた亀田川に取水口を設け、地中に埋めた箱樋を通して五稜郭の堀と郭内外の住居の水道用に川の水を引いていた。しかし、第二次世界大戦後、亀田川の護岸工事により五稜郭へ水が流れなくなり、水位が低下して堀の水質が悪化、悪臭を放つようになったため、1974年(昭和49年)からは水道水を堀に流すようになった。五稜郭 フレッシュアイペディアより)

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    五稜郭から見た日米和親条約

    1854年(安政元年)3月、日米和親条約の締結により箱館開港が決定すると、江戸幕府は松前藩領だった箱館周辺を上知し、同年6月に箱館奉行を再置した。箱館奉行所は前幕領時代(1802年-1807年)と同じ基坂(当時は松前藩の箱館奉行詰役所があった)に置かれた。初代奉行の竹内保徳は松前藩の建物を増改築して引き続き使用する方針を示したが、続いて奉行に任命された堀利煕は、同所は箱館湾内から至近かつ遮るものがなく、加えて外国人の遊歩区域内の箱館山に登れば奉行所を眼下に見下ろすことができるので防御に適さず、亀田方面への移転が必要だと上申。そして竹内と堀は江戸に戻ると、箱館湾内からの艦砲射撃の射程外に位置する鍛冶村中道に「御役所四方土塁」を築いて奉行所を移転する意見書を老中・阿部正弘に出した。これが幕閣に受理され、五稜郭の建設が決定した。五稜郭 フレッシュアイペディアより)

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    五稜郭から見た石垣

    1856年(安政3年)11月、組頭・河津祐邦、調役並・鈴木孫四郎、下役元締・山口顕之進、諸術教授役・武田斐三郎らを台場並亀田役所土塁普請掛に任命し、1857年(安政4年)7月に五稜郭の築造を開始。建物については、1856年(安政5年)から郭外北側に役宅を建設、1861年(文久元年)に奉行所庁舎建設を開始した。施工は土木工事を松川弁之助、石垣工事を井上喜三郎、奉行所の建築を江戸在住の小普請方鍛冶方石方請負人中川伝蔵が請け負った。当初は、まず掘割と土塁工事、続いて建物工事、最後に石垣工事を行う計画だったが、この地は地盤が脆弱で冬季の凍結・融解により掘割の壁面が崩落したため、急遽石垣工事を先行させた。五稜郭 フレッシュアイペディアより)

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    五稜郭から見た陸軍大臣

    1913年(大正2年)、函館区長・北守政直が陸軍大臣に、五稜郭を公園として無償貸与して欲しいとの請願を行った。陸軍から、使用許可時点の状態を変更することは認めない、最小限の便益施設の設置や新たな樹木の植栽は全て函館要塞司令部の許可が必要である、かつ借用期間中の土地建物等の保存責任と費用負担は函館区が負う、などの条件付きで使用許可が出され、翌年五稜郭公園(ごりょうかく こうえん)として一般開放された。また、函館毎日新聞が発行1万号を記念して、1913年から10年かけて数千本のソメイヨシノを植樹した。この桜は現在も約1,600本が残っており、北海道内有数の花見の名所となっている。五稜郭 フレッシュアイペディアより)

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    五稜郭から見た越後

    五稜郭内には、奉行所庁舎のほか、用人や近習の長屋、厩、仮牢など計26棟が建てられた。建材は津軽・南部・出羽など、瓦は能登・越後など、釘や畳は江戸というように各地から運ばれた資材が用いられた。なお、建材は能代などで予め加工し、現場では組立だけとすることで、経費節減に努めていた。五稜郭 フレッシュアイペディアより)

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    五稜郭から見た開拓使

    明治以降、五稜郭は兵部省から1873年(明治6年)には陸軍省)の所管となった。奉行所庁舎および付属建物の多くは、1871年(明治4年)に札幌の開拓使本庁舎建設の資材とする目的で解体されたが、実際には札幌に運ばれず、札幌本道の工事や蓬莱町遊郭の建設資材として使われた。五稜郭 フレッシュアイペディアより)

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    五稜郭から見た朝陽丸

    五稜郭に配備されていたものではないが、箱館戦争で使用された大砲が2門、郭内に展示されている。1門は、旧幕府軍が箱館占領中に構築した築島台場に備え付けられた砲(英・ブラッケリー社製)で、もう1門は明治2年5月11日の箱館湾海戦で沈没した新政府軍の軍艦・朝陽の砲(独・クルップ社製)である。五稜郭 フレッシュアイペディアより)

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    五稜郭から見た五稜郭タワー

    1964年(昭和34年)、五稜郭築城100年を記念して、南隣に高さ60メートルの五稜郭タワーが開業。五稜郭 フレッシュアイペディアより)

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