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鈴木桂治から見た井上康生
柔道は3歳の時に兄の影響で始めた。世界選手権で2度3位になった小野卓志とは石下町体育協会柔道部で同期だった。高校時代より国士舘のエースとして頭角を現すも、同階級の絶対的エースとして活躍していた井上康生の陰に隠れる存在であった。初出場となった2003年の世界選手権では無差別級で出場し優勝するも、自身はあくまで100kg級での五輪出場にこだわった。だが、2004年に100kg超級に転向、全日本選手権では決勝で初めて井上を破り(団体戦では対戦があり1999年全日本学生柔道体重別団体優勝大会にて初対戦で初勝利する)初優勝、棟田康幸との熾烈な代表争いを制し、2004年8月のアテネオリンピック100kg超級代表に選出される。アテネでは金メダルを獲得。2005年の世界選手権では階級を100kg級に戻して優勝。(鈴木桂治 フレッシュアイペディアより)
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2008年のスポーツから見た井上康生
4月5日〜6日 - 福岡国際センターで全日本選抜柔道体重別選手権大会【男女同時開催】が施行され、男子60kg級の野村忠宏(ミキハウス)、女子48kg級の谷亮子(トヨタ自動車)が敗退、男子100kg級の鈴木桂治(平成管財)と男子100kg超級の井上康生(綜合警備保障)が優勝した。大会終了後に北京五輪柔道日本代表選手が発表され、谷亮子が代表入りしたが、五輪4連覇の偉業を期待されていた野村忠宏が落選した。(2008年のスポーツ フレッシュアイペディアより)
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2000年シドニーオリンピックから見た井上康生
柔道で田村亮子が悲願の金メダルを獲得。他にも柔道では2大会連続金メダルの野村忠宏をはじめ、井上康生や瀧本誠らが金メダルを獲得した。一方、篠原信一が決勝で審判の誤審により銀メダルになるというトラブルも起こった。(2000年シドニーオリンピック フレッシュアイペディアより)
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