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  • 井上陽水

    井上陽水から見た吉田拓郎

    1971年、ポリドール・レコードのディレクター多賀英典に誘われて移籍し、初のアルバム『断絶』のレコーディングを始める。このアルバムの製作開始に合わせて名前を変えることになり、マネジメントの指揮を執った奥田義行が本名を聞くと「井上アキミ」というので、どんな字かと思ったら「陽水-ようすい」と書くという。奥田は吉田拓郎を意識し、「拓郎がその二文字で若者にインパクトを与えている。だったら下の名前の「陽水」の2文字で対抗、強調していこう」と戦略を立てた。井上陽水 フレッシュアイペディアより)

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    井上陽水から見た泉谷しげる

    1975年、陽水・吉田拓郎・泉谷しげる・小室等が中心となって、フォーライフ・レコードを発起する。また、後に結婚する石川セリと出会う。井上陽水 フレッシュアイペディアより)

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    井上陽水から見た奥田民生

    1996年、PUFFYのデビュー曲として歌詞を提供した「アジアの純真」がヒットする。「アジアの純真」の作曲は、以前から交流のあった奥田民生である(1994年には「月ひとしずく」(小泉今日子)を共作している)。同じく陽水作詞、民生作曲でPUFFYに提供した「渚にまつわるエトセトラ」もヒットする。続いて「井上陽水奥田民生」というアーティスト名でリリースしたシングル「ありがとう」、アルバム『ショッピング』はこれらのヒットを受けたものと言えよう。「ありがとう」はリリースされた1997年にサッポロビール・「黒ラベル」のCMに使われたことも手伝ってヒットする。「アジアの純真」「渚にまつわるエトセトラ」は自演の作品にない元気のよさという特徴がある。井上陽水 フレッシュアイペディアより)

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    井上陽水から見た持田香織

    曲をカバーした歌手には、「夢の中へ」の斉藤由貴、TRICERATOPS、「心もよう」の中森明菜、南沙織、「氷の世界」の筋肉少女帯、工藤静香、「傘がない」の中森明菜、斉藤和義、「東へ西へ」の本木雅弘、中村あゆみ、「神無月にかこまれて」の香坂みゆき、「Make-up Shadow」の上原多香子、「いつのまにか少女は」の持田香織、「ジェラシー」の高橋真梨子、「結詞」の高橋真梨子、中村あゆみ、「夏の終わりのハーモニー」の中村あゆみ、MOOMIN、「最後のニュース」の奥田民生、「カナリア」に英語の歌詞を付けて歌ったジェーン・バーキン、「桜三月散歩道」をカヴァーしたキンモクセイなどがいる。本職の歌手でないところでは、お笑い芸人の友近が「Tokyo」を、THE IDOLM@STER RADIOにおいて今井麻美・たかはし智秋が「少年時代」をカバーしている。井上陽水 フレッシュアイペディアより)

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    井上陽水から見た松任谷由実

    松任谷由実へのトリビュートアルバム。陽水は「甘い予感」で参加している。井上陽水 フレッシュアイペディアより)

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    井上陽水から見た五木寛之

    文壇との交際が広い。文壇を含む文化人との交流は麻雀が切っ掛け。1976年に『青空ふたり旅』として出版された五木寛之との対談をきっかけに、まず「話の特集」の矢崎泰久がベトナムに行く時の壮行麻雀大会に五木に連れて行かれ、そこで矢崎、ばばこういち、阿佐田哲也に会い、この後、長谷川和彦と知り合い、長谷川に近代麻雀に出ないかと誘われて田村光昭に会い、その繋がりで長門裕之、黒鉄ヒロシ、畑正憲らと知り合った。世代的に上の人との付き合いが多い理由について、「吉田拓郎なんかは、自分がリーダーシップを取って周りの人間を引っ張っていくタイプでしょう。僕はそういうの不得意なんです。高校時代、タテ関係が希薄で女性も多い弓道部にいたせいかもしれないけど、下の世代に対する訓練ができていないんですよ」と、40代のころは話していた。ほかにも沢木耕太郎は歌詞集『ラインダンス』に、村上龍は『綺麗ごと』に寄稿し、町田康は「新しい恋」を作詞している。活動分野は違ってくるが、三谷幸喜は『You Are The Top〜今宵の君』の劇中歌である「You are the top」を作詞しており、またタモリとは同郷でもあって親しい。井上陽水 フレッシュアイペディアより)

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    井上陽水から見た忌野清志郎

    アンドレ・カンドレ時代に知り合った小室等、安田裕美(六文銭のギタリスト)、星勝(モップスのギタリスト)、RCサクセションの忌野清志郎などとは以後長く深い交際になる。特に小室等からボブ・ディランを薦められ、以降の作詞に強い影響を受けた。井上陽水 フレッシュアイペディアより)

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    井上陽水から見た中森明菜

    1982年、バックバンドを務めていた安全地帯がデビューし、1983年には自身作詞による「ワインレッドの心」をヒットさせる。さらに1984年には安全地帯に歌詞を提供した「恋の予感」、中森明菜に歌詞と曲を提供した「飾りじゃないのよ涙は」、そして自身の「いっそセレナーデ」がヒットする。12月10日付のチャートでは「飾りじゃ〜」が2位、「恋の予感」が3位、「いっそ〜」が4位と、陽水の手がけた作品が上位を占める。同月21日にはこれらのヒット曲をはじめとする提供曲を、自身が自ら歌ったアルバム『9.5カラット』がリリースされ、翌1985年にかけてヒットする。『9.5カラット』は1985年のアルバム年間売り上げ1位を獲得し、陽水にとっては『氷の世界』以来2作目のミリオンセラーとなる。このヒットにより第27回日本レコード大賞で作曲賞とアルバム賞を獲得する。1986年8月にはライブアルバム『クラムチャウダー』がリリースされ、9月には同じ題名のライブビデオも発売される。さらに8月20日から2日間、安全地帯とのジョイントで「STARDUST RENDEZ-VOUS」と題したコンサートを明治神宮野球場で行う。このコンサートは6万人の聴衆を動員し、テレビ中継されたほか、ライブアルバム、ライブビデオにも収録される。井上陽水 フレッシュアイペディアより)

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    井上陽水から見た日産自動車

    1988年9月1日、日産自動車より新発売されたセフィーロ(初代・A31型)のCMに出演し、アドリブで「みなさん、お元気ですか?……失礼しまーす」と声を出す。ところがこのCMが公開されて間もなく、病気で臥せっていた昭和天皇が危篤になったため、声はカットされた。いしいひさいちは団欒中の家族に、窓を開けた陽水が「皆さんお元気ですか」と言うと一気にしらける、イラク軍の捕虜にこのCMを見せた途端、それまで騒がしかった捕虜たちが脱力しておとなしくなる、という作品を描いている。それから間もない10月、フジテレビ系のドラマ『ニューヨーク恋物語』の主題歌に使われた「リバーサイドホテル」がヒットする(11位)。「リバーサイドホテル」は1982年に発表されていた作品だが、リリースから6年を隔ててのヒットとなった。井上陽水 フレッシュアイペディアより)

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    井上陽水から見たフジテレビジョン

    1988年9月1日、日産自動車より新発売されたセフィーロ(初代・A31型)のCMに出演し、アドリブで「みなさん、お元気ですか?……失礼しまーす」と声を出す。ところがこのCMが公開されて間もなく、病気で臥せっていた昭和天皇が危篤になったため、声はカットされた。いしいひさいちは団欒中の家族に、窓を開けた陽水が「皆さんお元気ですか」と言うと一気にしらける、イラク軍の捕虜にこのCMを見せた途端、それまで騒がしかった捕虜たちが脱力しておとなしくなる、という作品を描いている。それから間もない10月、フジテレビ系のドラマ『ニューヨーク恋物語』の主題歌に使われた「リバーサイドホテル」がヒットする(11位)。「リバーサイドホテル」は1982年に発表されていた作品だが、リリースから6年を隔ててのヒットとなった。井上陽水 フレッシュアイペディアより)

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