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  • 鳥越裕介

    鳥越裕介から見た井口資仁井口資仁

    ダイエーに移籍した後はその守備が監督の王貞治から高く評価され、一軍に定着。移籍初年度である1999年の10月には、自身初の一試合2本塁打を放っている。2000年シーズン当初は、浜名千広の怪我や柳田聖人の不振により二塁手のポジションが空き、5月まで打率が3割を超えるなど打撃好調だった鳥越は二塁手の定位置を獲得したが、遊撃手のレギュラーだった井口忠仁が夏場に戦線を離脱したため、以降は本職の遊撃手のレギュラーとして出場。同年9月1日の5連敗と優勝争い脱落の危機の中、迎えたオリックス戦では逆転本塁打を放ち連敗を止めた。以降チームは9連勝し、マジックを点灯させる。また9月30日の近鉄戦ではサヨナラ安打を放つなど、優勝争いを繰り広げたチームの中で貴重な活躍を見せ、オフには球団から坊西浩嗣と共に表彰を受けた。鳥越裕介 フレッシュアイペディアより)

  • 後藤光尊

    後藤光尊から見た井口資仁井口資仁

    最後に4番で達成したのは、2009年の井口資仁(ロッテ)以来2人目後藤光尊 フレッシュアイペディアより)

  • 新庄 剛志

    新庄剛志から見た井口資仁井口資仁

    2010年のオールスターゲームに出場の「選手が選ぶ思い出のオールスター・ランキング」アンケートを中継局・テレビ朝日が行った結果、2004年に成功させたホームスチールが7票を集め1位に選出された。投票者は、井口資仁、青木宣親、前田健太、他4名。新庄剛志 フレッシュアイペディアより)

  • 寺原隼人

    寺原隼人から見た井口資仁井口資仁

    3年夏の全国高等学校野球選手権宮崎大会の3回戦(7月18日・対日南振徳商戦)でノーヒットノーランを記録。予選決勝(7月25日・対宮崎日大戦)では完投で勝利投手となり、日南学園を3年ぶり3度目の甲子園出場に導く。第83回全国高等学校野球選手権大会の2回戦(8月16日・対玉野光南高戦)では当時最速となる154km/hを記録。この時、ボストン・レッドソックスのスカウトの速度計は98マイル(約157.7km/h)を示した。この一球について寺原は、球が外に大きく外れたこともあってか「あれはスピードガンの狂いでしょう。あの試合は体調も万全ではなかったし、あの球だけあんなに出たのはどう考えてもおかしい」と語っている。その後、準々決勝では横浜高校相手に好投するも、9回に決勝点を奪われて敗れたが、チームをベスト8に導き全国的な注目を浴びた。当時、「僕は9回でも150km/hの球を投げることができる」と発言したり、プロ入り直後には「松坂投手との剛球対決が楽しみです」などの強気の発言も多かった。また、当時としては珍しく眉毛を細く整えていたことでも注目されていた。その後、国際野球連盟主催の第34回IBAFワールドカップ日本代表に出場。予選リーグ第1戦のフィリピン戦、最終戦のオランダ戦で中継ぎで登板した。同大会には後に福岡ダイエーホークスでチームメートとなる井口資仁・篠原貴行が出場していた。プロ・アマ合同の同大会で高校生が日本代表として選出されたのは史上初であった。また、ドラフト時に巨人入団を希望していたと取れる言動があったが実はヤクルトファンで、理由は「ユニフォームがカッコいいから」というものだった。寺原隼人 フレッシュアイペディアより)

  • 仁志敏久

    仁志敏久から見た井口資仁井口資仁

    監督が堀内恒夫に交代した、仁志は再び1番打者を任され、28本塁打を記録(106得点はリーグ1位)。一方で盗塁3、盗塁死10と脚力は回復できず、オフにFA宣言し、スコット・ボラスと代理人契約を結んでメジャーリーグ移籍を目指したが、同時にメジャー挑戦を表明した井口資仁に注目が集まったためか手を挙げる球団がなく、巨人に残留する。仁志敏久 フレッシュアイペディアより)

  • アトランタオリンピック日本選手団

    アトランタオリンピック日本選手団から見た井口忠仁井口資仁

    井口忠仁(青山学院大学)・今岡誠(東洋大学)・大久保秀昭(日本石油)・小野仁(日本石油)・川村丈夫(日本石油)・木村重太郎(東芝)・黒須隆(日産自動車)・桑元孝雄(三菱自動車川崎)・西郷泰之(三菱自動車川崎)・佐藤友昭(プリンスホテル)・杉浦正則(日本生命保険)・高林孝行(日本石油)・谷佳知(三菱自動車岡崎)・中村大伸(NTT東京)・野島正弘(日本石油)・福留孝介(日本生命)・松中信彦(新日鉄君津)・三澤興一(早稲田大学)・森昌彦(NTT東京)・森中聖雄(東海大学)アトランタオリンピック日本選手団 フレッシュアイペディアより)

  • 2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表

    2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表から見た井口資仁井口資仁

    初めてメジャーリーガーが出場する国際大会であり、当初はイチロー(マリナーズ)をはじめ松井秀喜(ヤンキース)、城島健司(マリナーズ)、井口資仁(ホワイトソックス)、大塚晶則(レンジャーズ)ら多くのメジャーリーガーが参加した「真の日本代表」としての代表編成が期待されていた。だが、イチローが大会に対する並々ならぬ意欲を表明する一方で、松井秀喜は参加への態度を保留するなどの温度差もあった。2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 フレッシュアイペディアより)

  • 斎藤佑樹

    斎藤佑樹から見た井口資仁井口資仁

    10月28日に開催されたプロ野球ドラフト会議にて、東京ヤクルトスワローズ、北海道日本ハムファイターズ、千葉ロッテマリーンズ、福岡ソフトバンクホークスの4球団が1位指名し、抽選の結果、日本ハムが交渉権を獲得。同会議では早稲田大学の同期生である大石達也と福井優也も、それぞれ埼玉西武ライオンズと広島東洋カープに1位で指名され(大石は広島を含む他5球団との競合)、プロ野球ドラフト会議において同一大学の投手3人が1位指名を受けたのは同会議史上初、ポジションに関わらず3人が1位指名されたのは、の青山学院大学(井口忠仁、澤崎俊和、清水将海)以来となった。10月30日から早慶戦を控えていたため当日には記者会見は行われず、早慶優勝決定戦翌日の11月4日に大石、福井とともに会見が開かれ、プロ入りへの意気込みを語った。12月6日に日本ハムとの初交渉に臨み、新人としては最高評価の年俸1500万円、契約金1億円、出来高5000万円(金額は推定)で仮契約した。12月9日には日本ハムの本拠地・札幌ドームにおいて、の新庄剛志以来7年ぶりの単独の入団会見が行われた。会見には監督の梨田昌孝と球団社長の藤井純一が同席し、背番号「18」のユニフォーム姿をお披露目した。その後、梨田が捕手となりマウンドでプロ第一球を披露し、トークショー、サインボール投げ入れなどのセレモニーが行われた。斎藤佑樹 フレッシュアイペディアより)

  • 横川史学

    横川史学から見た井口資仁井口資仁

    2006年の大学生・社会人ドラフトで東北楽天ゴールデンイーグルスから4巡目で指名を受け、入団。同年のドラフトでは横川のほか、大崎雄太朗(埼玉西武ライオンズ)、高市俊(東京ヤクルトスワローズ)、円谷英俊(読売ジャイアンツ)が指名された。青山学院大学硬式野球部から同時に4名が指名されたのは、1996年に井口資仁・澤崎俊和・清水将海・倉野信次が指名されて以来10年ぶり2回目。横川史学 フレッシュアイペディアより)

  • エドガー・ゴンザレス (内野手)

    エドガー・ゴンザレス (内野手)から見た井口資仁井口資仁

    パドレスに入団したにプロ9年目でメジャーデビューを果たし、すでにパドレスの主砲となっていたエイドリアンとチームメートとなった。正二塁手を務めていた井口資仁が故障者リスト入りしたこともあって二塁手のレギュラーを掴むと、メジャー1年目から111試合に出場した。エドガー・ゴンザレス (内野手) フレッシュアイペディアより)

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