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  • 城島健司

    城島健司から見た井口資仁井口資仁

    は打率はリーグ28位の.258と低迷したが、本塁打は自身初の30本越えとなる31本塁打(リーグ9位)を記録。捕手の30本以上は史上5人目。この年、小久保裕紀が44本塁打(リーグ4位)、松中信彦が36本塁打(リーグ6位)、井口資仁が30本塁打(リーグ12位)を記録し、パシフィック・リーグ初の30本カルテットを形成。また、日本人のみの30本カルテットはプロ野球史上初であった。4月13日のオリックス3回戦の9回に史上15人目で17度目の1イニング2本塁打を記録。この試合は6回にも本塁打を打っており、グリーンスタジアム神戸での1試合3本塁打は史上4人目である。同年、城島健司ベースボール記念館が故郷の長崎県佐世保市にオープンした。城島健司 フレッシュアイペディアより)

  • 池之上格

    池之上格から見た井口資仁井口資仁

    その後は福岡ダイエーホークスのスカウトとして、九州地区チーフを務めるなど活躍し、小久保裕紀や井口資仁を担当。2000年からは阪神タイガースのスカウトとして鳥谷敬、安藤優也などを担当。池之上格 フレッシュアイペディアより)

  • 今岡誠

    今岡誠から見た井口資仁井口資仁

    中学では宝塚シニアに所属。PL学園高校3年時に第64回選抜高等学校野球大会に出場し、8強入りする。東都大学野球連盟所属の東洋大学に進学後は遊撃手として大学通算89試合出場、335打数100安打、打率.299, 12本塁打、73打点を記録。ベストナインに2回選出され、同リーグの青山学院大学で同学年、同ポジションの井口忠仁と双璧ともいわれた。アトランタオリンピックでは日本生命の福留孝介も含めて3人の遊撃手が選出されたが、主に7番遊撃手井口、8番二塁手今岡、9番三塁手福留で起用され、打率.435を記録した。今岡誠 フレッシュアイペディアより)

  • 宮本慎也

    宮本慎也から見た井口資仁井口資仁

    のWBC代表にも井口資仁の代表辞退後に追加選出された。出場要請は大好きなパチンコをしている最中だったという。この時の背番号は多村仁と重複のため10番をつけた。準決勝の韓国戦では代打として結果を残し、その後の守備では本職ではない三塁手として出場した(守備機会は無し)。決勝のキューバ戦ではその試合で2度失策をした川崎宗則に代わり、9回に本職である遊撃手として出場した。ただし宮本への交代は前の攻撃の回で川崎がホームへ生還した際、右ひじを痛めたためであり、失策が原因で交代したわけではない。シーズンでは開幕から好調だったものの怪我での2度の離脱により73試合出場にとどまる。契約更改での球団からの提示額は500万円増だったが、「納得したいと思って」と自ら減額を申し出る。その上で、差額の1500万円を、二軍が使用する戸田球場の傷みの目立つフェンスの改修費用に充てるように球団に要望し、了承された。宮本慎也 フレッシュアイペディアより)

  • 小林雅英

    小林雅英から見た井口資仁井口資仁

    初奪三振:同上、7回裏に井口忠仁から小林雅英 フレッシュアイペディアより)

  • 村松有人

    村松有人から見た井口資仁井口資仁

    、脇腹を痛め開幕に間に合わなかった柴原を8番・右翼手に追いやり、1番・中堅手として復活を果たす。開幕から打率3割を維持し、それまでの12年間で2本塁打とほとんど本塁打が打てなかった(初出場から連続打数本塁打無しの日本記録保持)が、この年は6本塁打を放つ。7月1日にはサイクル安打を達成した。この年、脅威のチーム打率.297を記録するなど打ちまくったダイハード打線の核弾頭として、打率.324・6本塁打と自己最高の打撃成績に加え、歴代5位タイとなる13三塁打を記録。盗塁王争いでも井口資仁との激しい競争をリードしていたが、8月5日の対千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)で捕球を試みた際に右鎖骨を骨折して離脱。終盤戦を棒に振って盗塁王と最多安打を逃すが驚異的な回復を見せ、日本シリーズ(対阪神タイガース戦)には復帰して日本一に貢献した。村松有人 フレッシュアイペディアより)

  • 岩隈久志

    岩隈久志から見た井口資仁井口資仁

    近鉄時代は北海道日本ハムファイターズに特に強く、2003年から2004年にかけて11連勝した。2004年は西武ライオンズにも強く、この2チーム相手の登板が多かった。しかし、楽天移籍後初の日本ハム戦で黒星を喫し連勝はストップ。一方、近鉄時代の2003年・2004年と共に自身の開幕からの連勝を阻止し、2004年に通年で喫した2敗はいずれも千葉ロッテマリーンズ戦だった。しかし楽天移籍後は球団初の公式戦となった2005年開幕戦で完投勝利を挙げ、2005年9月から2008年7月まで連勝を続け、特に千葉マリンスタジアムでの登板では2005年9月から現在まで10連勝中である。また、近鉄時代は福岡ダイエーホークスとの登板が少なく、2003年9月を最後に2007年9月5日まで対戦することは無かったが、2008年は7登板して5勝7失点と抑えた。岩隈は当時のダイエー打線について「自分の中では井口さん、城島さん、小久保さん、松中さんがいた頃のダイエー打線が最強だった」と話している。岩隈久志 フレッシュアイペディアより)

  • 川崎宗則

    川崎宗則から見た井口資仁井口資仁

    には規定打席不足ながら打率.367を残し、認定でウエスタン・リーグの首位打者になり、9月には井口資仁の離脱で二塁手として起用された。第15回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表に選出。川崎宗則 フレッシュアイペディアより)

  • フィラデルフィア・フィリーズ

    フィラデルフィア・フィリーズから見た井口資仁井口資仁

    2005年より、1970年代後半から1980年代前半にかけてヤクルトスワローズや近鉄バファローズで活躍したチャーリー・マニエルが監督を務めている。日本人選手では、2007年シーズン途中から終了までと2008年レギュラーシーズン終盤に井口資仁が所属、2008年シーズンにはカージナルスからフリーエージェントになった田口壮が所属した。フィラデルフィア・フィリーズ フレッシュアイペディアより)

  • 日米野球

    日米野球から見た井口資仁井口資仁

    訪日メンバー:城島健司、井口資仁、ホセ・レイエス、デビッド・ライト、ライアン・ハワード、アンドリュー・ジョーンズ他日米野球 フレッシュアイペディアより)

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