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  • 井口資仁

    井口資仁から見た2009年

    右方向への長打が特徴的な勝負強い打撃が持ち味で、状況に応じた打撃もできるため、メジャーリーグではクリーンナップへのつなぎを求められる2番での出場が多かった。ホワイトソックス時代はチームの方針からほぼ毎打席1ストライクを捨てながらも20本近い本塁打を放ち、A.J.ピアジンスキーから「打順が変われば25本は打てるパワーは十分ある」、他球団スカウトからも「2番ではなく6番を打たせれば25?30本塁打する力がある」と長打力が高く評価されていた。ロッテ移籍当初は4番や2番で出場したが、後に3番に定着し、2009年から2年連続でIsoDが1割を越えるなど選球眼に磨きがかかり、2010年には外角打率.313で12本塁打を放つなど外角に強さを発揮した。ロッテに移籍した2009年以降,春先は3割2分台?3割5分台の高打率を残すものの,6月以降調子を落として最終的には2割台後半の打率で終えるシーズンが続いている。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

  • 井口資仁

    井口資仁から見た東京証券取引所

    開幕前には長打力を生かすため打順を6番へ変更する案が出たが、2番の適任者が他にいなかったため、前年と同じく主に2番で起用された。それでも5月20日のシカゴ・カブス戦で1試合6打点を、6月25日のヒューストン・アストロズ戦で1試合7打点を記録。最終的にリーグの二塁手最多の18本塁打を放ち、ギーエン監督は「打点の稼げるパワーヒッターになろうとして渡米したのに、2年間、今までやったことがない仕事をよくやってくれた」とコメントした他、シーズン終了直後には直々に「お前にはずいぶんと我慢させてしまった。今年だって本当なら20本以上の本塁打を打っていたはずだし、打率も3割を越えていたはずだ。来年はもっと自由に打たせる」と言われたという。12月29日の東京証券取引所の大納会にゲストとして招かれた。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見たMCプレス

    井口の法則 メジャーリーガーの野球技術(MCプレス) 2008年8月 ISBN 4-86295-047-7井口資仁 フレッシュアイペディアより)

  • 井口資仁

    井口資仁から見た遊撃手

    3月のオープン戦で右足首を捻挫したため開幕には間に合わず、5月3日の対近鉄バファローズ4回戦(福岡ドーム)で、2番・遊撃手として初出場。1回のプロ初打席で初安打、4回の3打席目では満塁本塁打を相手先発の山崎慎太郎から放つ鮮烈なデビューを飾った。外国人選手を除き、新人選手のデビュー戦での満塁本塁打はプロ野球史上初の快挙だった。しかし順調な滑り出しとは裏腹にその後は2割台前半の低打率に苦しみ、主に下位打線で起用されるようになった。オフにはハワイ・ウインターリーグに松中らと共に派遣され、ウエストオアフ・ケーンファイアーズに所属(背番号25)した。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た二塁打

    5試合連続猛打賞、1試合4二塁打の日本タイ記録を達成した。開幕戦は7番で迎えたが、シーズン途中から3番打者としてほぼ定着し、ダイハード打線の中軸を担った。1番・村松有人、2番・川崎宗則とともに盗塁を量産、終盤に村松が骨折で離脱したこともあり2年ぶりの盗塁王(42盗塁)に輝いた。さらに松中、城島、ペドロ・バルデスとともに史上初の100打点カルテットを形成した。最終的に打率.340(リーグ4位、リーグベストテンに入ったのは自身初)、27本塁打(リーグ12位)、109打点(リーグ5位)。2度目のベストナイン・ゴールデングラブ賞にも選ばれた。日本シリーズでは、打率は.231に終わったものの、本塁打を2本放ち、優秀選手に選ばれた。オフには一時ポスティングシステムでのメジャー移籍を球団から承認されていたが、小久保裕紀の読売ジャイアンツへの移籍により否認。契約更改では「中内正オーナーの経営体制が刷新した場合、もしくは高塚代行が退任した場合、自由契約の選択権は井口にある」との覚書を交わした。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た福岡ドーム

    3月のオープン戦で右足首を捻挫したため開幕には間に合わず、5月3日の対近鉄バファローズ4回戦(福岡ドーム)で、2番・遊撃手として初出場。1回のプロ初打席で初安打、4回の3打席目では満塁本塁打を相手先発の山崎慎太郎から放つ鮮烈なデビューを飾った。外国人選手を除き、新人選手のデビュー戦での満塁本塁打はプロ野球史上初の快挙だった。しかし順調な滑り出しとは裏腹にその後は2割台前半の低打率に苦しみ、主に下位打線で起用されるようになった。オフにはハワイ・ウインターリーグに松中らと共に派遣され、ウエストオアフ・ケーンファイアーズに所属(背番号25)した。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

  • 井口資仁

    井口資仁から見た猛打賞

    5試合連続猛打賞、1試合4二塁打の日本タイ記録を達成した。開幕戦は7番で迎えたが、シーズン途中から3番打者としてほぼ定着し、ダイハード打線の中軸を担った。1番・村松有人、2番・川崎宗則とともに盗塁を量産、終盤に村松が骨折で離脱したこともあり2年ぶりの盗塁王(42盗塁)に輝いた。さらに松中、城島、ペドロ・バルデスとともに史上初の100打点カルテットを形成した。最終的に打率.340(リーグ4位、リーグベストテンに入ったのは自身初)、27本塁打(リーグ12位)、109打点(リーグ5位)。2度目のベストナイン・ゴールデングラブ賞にも選ばれた。日本シリーズでは、打率は.231に終わったものの、本塁打を2本放ち、優秀選手に選ばれた。オフには一時ポスティングシステムでのメジャー移籍を球団から承認されていたが、小久保裕紀の読売ジャイアンツへの移籍により否認。契約更改では「中内正オーナーの経営体制が刷新した場合、もしくは高塚代行が退任した場合、自由契約の選択権は井口にある」との覚書を交わした。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見たベストナイン (日本プロ野球)

    島田誠コーチの助言から目標を盗塁王に定めて臨んだシーズンで、強力打線の3番に定着。プロ入り以降打率が.250を超えたことがなかったことから、確実性を高めるためにフォームをすり足打法に変えてシーズンに臨んだ。打率は.261(リーグ27位)に終わったが、史上3人目の30本塁打・40盗塁を達成し、44盗塁で盗塁王のタイトルを獲得し、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞した。この年、井口が30本塁打(リーグ12位)を記録したのに加え、小久保裕紀が44本塁打(リーグ4位)、松中が36本塁打(リーグ7位)、城島健司が31本塁打(リーグ9位)を記録し、パシフィック・リーグ初の30本カルテットを形成。日本人のみの30本カルテットはプロ野球史上初の快挙だった。11月には台湾で開催された第34回IBAF(国際野球連盟)ワールドカップ日本代表に高橋由伸、井端弘和、高校生で唯一メンバー入りした寺原隼人らと共に選出され、3番二塁手として出場した。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見たUSセルラー・フィールド

    シカゴ・ホワイトソックスと2年470万ドルで契約(3年目は年俸330万ドルの球団オプション)。開幕戦となった4月4日のクリーブランド・インディアンス戦(USセルラー・フィールド)に2番二塁手として初出場。開幕2戦目となる4月6日のインディアンス戦では、ケビン・ミルウッドからメジャー移籍後初安打を二塁打で記録(同試合で初盗塁も記録)。5月3日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦(USセルラー)では、ブライアン・アンダーソンから左翼席へメジャー初本塁打を放った。その後もスコット・ポドセドニックと共にホワイトソックスの「スモール・ボール(監督のオジー・ギーエンはスマート・ボールと呼んでいた)」を牽引し、チームの5年ぶりの地区優勝に大きく貢献。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見たセーフコ・フィールド

    4月中旬に32打席連続無安打になるなど絶不調に陥ったが、4月26日の対アリゾナ・ダイヤモンドバックス戦(ペトコ・パーク)で日本人選手史上2人目となるサヨナラ本塁打を記録。5月16日の対シアトル・マリナーズ戦(セーフコ・フィールド)ではダイエー時代の同僚城島健司と2004年10月1日のパ・リーグ・プレーオフ・セカンドステージ対西武5回戦(福岡ドーム)以来1313日ぶりにアーチ(本塁打)を競演。その後も正二塁手として出場していたが3安打を放った6月5日の対ニューヨーク・メッツ戦(ペトコ)で、走塁中に転倒し右肩を脱臼。6月6日にメジャー4年目で初の故障者リスト入りとなった。8月2日に復帰したが脱臼した右肩の影響などで調子が上がらず9月1日に解雇される。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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