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  • 井口資仁

    井口資仁から見た打率

    大学通算成績は101試合出場、366打数、103安打、打率.281、24本塁打、61打点、32盗塁。 東都大学通算24本塁打は現在も破られていないリーグ記録である。また、最高殊勲選手2回、ベストナイン4回の受賞の経験がある。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

  • 井口資仁

    井口資仁から見た猛打賞

    5試合連続の猛打賞、1試合4二塁打の日本タイ記録を達成した。開幕戦は7番で迎えたが、レギュラーシーズン途中から3番としてほぼ定着し、ダイハード打線の中心を担った。打率.340(リーグ4位)、27本塁打(リーグ12位)、109打点(リーグ5位)を記録し、OPS1.011(リーグ4位)はチームトップだった。2度目のベストナインとゴールデングラブ賞にも選ばれた。また終盤に村松有人が骨折で離脱したこともあり、2年ぶりの盗塁王(42盗塁)に輝き、松中、城島、ペドロ・バルデスと共に史上初の100打点カルテットを形成した。日本シリーズでは打率は.231に終わったものの、本塁打を2本放ち、優秀選手に選ばれた。年末には一時ポスティングシステムでのメジャー移籍を球団事務所から承認されていたが、小久保の読売ジャイアンツへの移籍により否認。契約更改では「オーナーの中内正の経営体制が刷新した場合、または高塚猛がオーナー代行を辞任した場合、自由契約の選択権は井口にある」との覚え書きを交わした。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た二塁打

    5試合連続の猛打賞、1試合4二塁打の日本タイ記録を達成した。開幕戦は7番で迎えたが、レギュラーシーズン途中から3番としてほぼ定着し、ダイハード打線の中心を担った。打率.340(リーグ4位)、27本塁打(リーグ12位)、109打点(リーグ5位)を記録し、OPS1.011(リーグ4位)はチームトップだった。2度目のベストナインとゴールデングラブ賞にも選ばれた。また終盤に村松有人が骨折で離脱したこともあり、2年ぶりの盗塁王(42盗塁)に輝き、松中、城島、ペドロ・バルデスと共に史上初の100打点カルテットを形成した。日本シリーズでは打率は.231に終わったものの、本塁打を2本放ち、優秀選手に選ばれた。年末には一時ポスティングシステムでのメジャー移籍を球団事務所から承認されていたが、小久保の読売ジャイアンツへの移籍により否認。契約更改では「オーナーの中内正の経営体制が刷新した場合、または高塚猛がオーナー代行を辞任した場合、自由契約の選択権は井口にある」との覚え書きを交わした。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た指名打者

    開幕当初は二塁手として起用されたが、この年からは一塁手にも挑戦することになった。4月16日の対日本ハム戦では一塁手として先発出場し、NPB/MLB通算250本塁打を含む4打数4安打で3打点を挙げた。指名打者として出場する時もある。5月は9本塁打、20打点、長打率.663の成績で自身3度目の月間MVPを獲得。7月26日の対楽天戦で田中将大からこの日2本目の安打を本塁打として、NPB/MLB通算では史上5人目となる2000本安打を達成。なおこの試合はサヨナラ負けを喫し、田中の連勝が続くこととなった。7月終了時点で打率.328、19本塁打と好調だったが、8月、9月には月間打率2割台前半を記録するなど不振に陥った。最終的に打率.297(リーグ11位)、23本塁打(リーグ7位)、83打点(リーグ9位)を記録し、長打率、OPSの数値はロッテ移籍後最高だった。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見たベストナイン (日本プロ野球)

    守備面では鳥越裕介に遊撃手を譲って二塁手にコンバートされ、走塁面ではコーチの島田誠の助言から目標を盗塁王に定めて臨んだ年だった。プロ入り以降、打率が.250を超えたことがなかったことから、確実性を高めるためにフォームを足を上げる打法からすり足打法に変えてレギュラーシーズンに臨んだ。同年は3番としてほぼ定着し、打率は.261(リーグ27位)に終わったが、史上3人目の30本塁打、40盗塁を達成し、44盗塁で盗塁王のタイトルを獲得し、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞した。この年、井口が30本塁打(リーグ12位)を記録したのに加え、松中が36本塁打、小久保裕紀が44本塁打、城島健司が31本塁打を記録し、パシフィック・リーグ初の30本カルテットを形成。日本人のみの30本カルテットはプロ野球史上初の快挙だった。11月には台湾で開催された第34回IBAF(国際野球連盟)ワールドカップの日本代表に高橋由伸、井端弘和や高校生で唯一メンバー入りした寺原隼人らと一緒に選ばれ、3番・二塁手として出場した。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た福岡ドーム

    初出場・初先発出場:1997年5月3日、対近鉄バファローズ4回戦(福岡ドーム)、2番・遊撃手として先発出場井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見たアメリカ合衆国

    その後、青山学院大学へ進学。高等学校時代に引き続いて、遊撃手としてプレーする。4年の春から4年の秋まで主将を務める。4年の時にはアメリカ合衆国で開催されたアトランタオリンピックで野球日本代表に選ばれ、銀メダル獲得に貢献。この時にキューバ代表のプレーに衝撃を受けたことが後のメジャー挑戦を意識するきっかけになった。また、 同期のチームメイトである澤崎俊和、清水将海、倉野信次などと一緒に全日本大学野球選手権大会の優勝を始め、多くの輝かしい実績を残した。個人としても、1番・遊撃手の「青い核弾頭」として活躍し、東都大学リーグ史上唯一である三冠王や、リーグ記録となる1シーズン8本塁打などを記録。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た田無市

    井口 資仁(いぐち ただひと、1974年12月4日 - )は、東京都西東京市(旧田無市)出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。本名は「井口 忠仁」(読み同じ)。2018年シーズンから千葉ロッテマリーンズの監督を務める。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た2003年の日本シリーズ

    5試合連続の猛打賞、1試合4二塁打の日本タイ記録を達成した。開幕戦は7番で迎えたが、レギュラーシーズン途中から3番としてほぼ定着し、ダイハード打線の中心を担った。打率.340(リーグ4位)、27本塁打(リーグ12位)、109打点(リーグ5位)を記録し、OPS1.011(リーグ4位)はチームトップだった。2度目のベストナインとゴールデングラブ賞にも選ばれた。また終盤に村松有人が骨折で離脱したこともあり、2年ぶりの盗塁王(42盗塁)に輝き、松中、城島、ペドロ・バルデスと共に史上初の100打点カルテットを形成した。日本シリーズでは打率は.231に終わったものの、本塁打を2本放ち、優秀選手に選ばれた。年末には一時ポスティングシステムでのメジャー移籍を球団事務所から承認されていたが、小久保の読売ジャイアンツへの移籍により否認。契約更改では「オーナーの中内正の経営体制が刷新した場合、または高塚猛がオーナー代行を辞任した場合、自由契約の選択権は井口にある」との覚え書きを交わした。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た始球式

    パ・リーグ最年長選手となった。6月20日に球団公式サイトにて今期限りで引退することを発表し、「まだシーズンの途中ですが、今シーズン限りで引退する事を決めました。ここまで長くプレーしてきて、色々な思い出はありますが、まだ振り返りません。今は一つでも多くの勝利と一つでも上の順位を目指し、チームの力となって全力を尽くしていきたい。そして、残りのシーズンで今まで以上の思い出を作っていけたらいいと思います。打席に入る時のマリーンズファンの声援は力になります。残りの試合でも今まで以上の熱い声援を宜しくお願いします」とコメントした。9月24日、引退試合となった本拠地ZOZOマリンスタジアムでの日本ハム戦の前の始球式を長女・琳王が務め、試合では6番・指名打者で出場し、2点ビハインドで迎えた9回裏の第4打席、無死一塁で増井浩俊からバックスクリーン右へ同点本塁打を放った。その後延長11回裏の第5打席は右飛に倒れたため、結果としてこれが現役生活最後の安打となった。試合後には引退セレモニーが実施され、ゆかりのある人物からのビデオメッセージが流された。また、この日の本塁打の着弾点となった『右翼席2列624番』は、席が青色から黄色等に変更され、「井口資仁選手 2017年9月24日 引退試合本塁打着地点」等と記したプレートが設置されることとなった。MLBにおいても、9月28日に古巣ホワイトソックスのホーム最終戦で、引退セレモニーとして本人による始球式が行われた(日付は現地時間)。背番号は当時と同じ「15」だった。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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