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  • 井口資仁

    井口資仁から見た中内正

    5試合連続猛打賞、1試合4二塁打の日本タイ記録を達成した。開幕戦は7番で迎えたが、シーズン途中から3番打者としてほぼ定着し、ダイハード打線の中軸を担った。1番・村松有人、2番・川崎宗則とともに盗塁を量産、終盤に村松が骨折で離脱したこともあり2年ぶりの盗塁王(42盗塁)に輝いた。さらに松中、城島、ペドロ・バルデスとともに史上初の100打点カルテットを形成した。最終的に打率.340(リーグ4位、リーグベストテンに入ったのは自身初)、27本塁打(リーグ12位)、109打点(リーグ5位)。2度目のベストナイン・ゴールデングラブ賞にも選ばれた。日本シリーズでは、打率は.231に終わったものの、本塁打を2本放ち、優秀選手に選ばれた。オフには一時ポスティングシステムでのメジャー移籍を球団から承認されていたが、小久保裕紀の読売ジャイアンツへの移籍により否認。契約更改では「中内正オーナーの経営体制が刷新した場合、もしくは高塚代行が退任した場合、自由契約の選択権は井口にある」との覚書を交わした。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

  • 井口資仁

    井口資仁から見た張本勲

    30本塁打40盗塁(2001年) ※張本勲(1963年)、秋山幸二(1990年)に次いで史上3人目井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た多田野数人

    150本塁打:2009年4月7日、対北海道日本ハムファイターズ1回戦(東京ドーム)、2回表に多田野数人から左越ソロ ※史上151人目井口資仁 フレッシュアイペディアより)

  • 井口資仁

    井口資仁から見た田口壮

    ポストシーズンでは10月5日の前年度ワールドチャンピオン、ボストン・レッドソックスとのアメリカンリーグ・ディビジョンシリーズ(ALDS)第2戦(USセルラー)で決勝の逆転3点本塁打をデビッド・ウェルズから放つ活躍などを見せ、移籍1年目でワールドシリーズに出場。日本人選手としては新庄剛志、松井秀喜、田口壮に次ぐ4人目のワールドシリーズ出場選手となった。ワールドシリーズも制し、日本人では伊良部秀輝に次いで2人目のチャンピオンリングを獲得した(伊良部はワールドシリーズに出場しておらず、実際に出場してリングを獲得したのは井口が初めて)。しかし最後の打席後に交代し、優勝決定の瞬間はベンチにいたため、「優勝した瞬間グラウンドにいたはじめての日本人選手」は翌年の田口に譲ることになった。また、日本人で初めて日本シリーズとワールドシリーズの両方を制覇した選手となった。シーズン終了後には、両リーグから選出される新人ベストナインに二塁手部門で選出された。後にこのシーズンについて自己犠牲を強いられる役割には不満があったと語るが、ギーエン監督の「今年のMVPはイグチ。イグチほど野球を深く理解している選手はいない。彼がいたからホワイトソックスはワールドシリーズを制覇できた」という言葉で救われたという。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た松井秀喜

    ポストシーズンでは10月5日の前年度ワールドチャンピオン、ボストン・レッドソックスとのアメリカンリーグ・ディビジョンシリーズ(ALDS)第2戦(USセルラー)で決勝の逆転3点本塁打をデビッド・ウェルズから放つ活躍などを見せ、移籍1年目でワールドシリーズに出場。日本人選手としては新庄剛志、松井秀喜、田口壮に次ぐ4人目のワールドシリーズ出場選手となった。ワールドシリーズも制し、日本人では伊良部秀輝に次いで2人目のチャンピオンリングを獲得した(伊良部はワールドシリーズに出場しておらず、実際に出場してリングを獲得したのは井口が初めて)。しかし最後の打席後に交代し、優勝決定の瞬間はベンチにいたため、「優勝した瞬間グラウンドにいたはじめての日本人選手」は翌年の田口に譲ることになった。また、日本人で初めて日本シリーズとワールドシリーズの両方を制覇した選手となった。シーズン終了後には、両リーグから選出される新人ベストナインに二塁手部門で選出された。後にこのシーズンについて自己犠牲を強いられる役割には不満があったと語るが、ギーエン監督の「今年のMVPはイグチ。イグチほど野球を深く理解している選手はいない。彼がいたからホワイトソックスはワールドシリーズを制覇できた」という言葉で救われたという。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

  • 井口資仁

    井口資仁から見た村松有人

    5試合連続猛打賞、1試合4二塁打の日本タイ記録を達成した。開幕戦は7番で迎えたが、シーズン途中から3番打者としてほぼ定着し、ダイハード打線の中軸を担った。1番・村松有人、2番・川崎宗則とともに盗塁を量産、終盤に村松が骨折で離脱したこともあり2年ぶりの盗塁王(42盗塁)に輝いた。さらに松中、城島、ペドロ・バルデスとともに史上初の100打点カルテットを形成した。最終的に打率.340(リーグ4位、リーグベストテンに入ったのは自身初)、27本塁打(リーグ12位)、109打点(リーグ5位)。2度目のベストナイン・ゴールデングラブ賞にも選ばれた。日本シリーズでは、打率は.231に終わったものの、本塁打を2本放ち、優秀選手に選ばれた。オフには一時ポスティングシステムでのメジャー移籍を球団から承認されていたが、小久保裕紀の読売ジャイアンツへの移籍により否認。契約更改では「中内正オーナーの経営体制が刷新した場合、もしくは高塚代行が退任した場合、自由契約の選択権は井口にある」との覚書を交わした。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た中嶋聡

    初盗塁:1997年7月11日、対オリックス・ブルーウェーブ13回戦(福岡ドーム)、2回裏に二盗(投手:ウィリー・フレーザー、捕手:中嶋聡井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た松坂大輔

    西武ライオンズ時代の松坂大輔との対戦では通算で打率.365(85打数31安打 3本塁打9打点)を残し得意としていた事から、「松坂キラー」と呼ばれた。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た王貞治

    開幕から3番に座ったが、1番としての起用されることも多く、アテネオリンピック出場のため城島が抜けた期間には代役として5番も務めた。公式戦最終戦の9月23日の対日本ハム戦では、延長12回裏に入来祐作から福岡ダイエーホークスとしては公式戦最後の本塁打となるサヨナラ本塁打を放った。レギュラーシーズンでは打率.333(リーグ4位)、24本塁打(リーグ14位タイ)、89打点(リーグ7位タイ)を記録した。チームは2年連続でレギュラーシーズン1位に輝いたが、この年導入されたプレーオフで敗れ、リーグ優勝は逃した。オフには高塚猛オーナー代行が部下への強制わいせつ罪の容疑で逮捕されたため辞任したことを受け、前年に交わした覚書に基づき自由契約を選択し、メジャーリーグ挑戦を表明。球団は「不可解、不明朗な契約ではあるが契約は有効」と認め、チームにとっては前年の小久保の無償トレードに続く前代未聞の出来事であり、王貞治監督は「野球を分からない、愛せないフロントはもういらない」と怒りを顕わにした。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た寺原隼人

    島田誠コーチの助言から目標を盗塁王に定めて臨んだシーズンで、強力打線の3番に定着。プロ入り以降打率が.250を超えたことがなかったことから、確実性を高めるためにフォームをすり足打法に変えてシーズンに臨んだ。打率は.261(リーグ27位)に終わったが、史上3人目の30本塁打・40盗塁を達成し、44盗塁で盗塁王のタイトルを獲得し、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞した。この年、井口が30本塁打(リーグ12位)を記録したのに加え、小久保裕紀が44本塁打(リーグ4位)、松中が36本塁打(リーグ7位)、城島健司が31本塁打(リーグ9位)を記録し、パシフィック・リーグ初の30本カルテットを形成。日本人のみの30本カルテットはプロ野球史上初の快挙だった。11月には台湾で開催された第34回IBAF(国際野球連盟)ワールドカップ日本代表に高橋由伸、井端弘和、高校生で唯一メンバー入りした寺原隼人らと共に選出され、3番二塁手として出場した。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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