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    井口資仁から見た宮本慎也

    オフにはワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出される。当初は出場を前向きに検討するコメントをしていたが、出場表明後NPBから何の連絡も無いことに不信感を持ったことや、メジャーでクリーンナップを打つという夢に向けての調整をしたいこともあり出場を辞退。代わりに宮本慎也が選出された。日本のWBC優勝については「コメントする資格は自分に無いが、日本人として嬉しい」と述べた。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た川崎宗則

    5試合連続猛打賞、1試合4二塁打の日本タイ記録を達成した。開幕戦は7番で迎えたが、シーズン途中から3番打者としてほぼ定着し、ダイハード打線の中軸を担った。1番・村松有人、2番・川崎宗則とともに盗塁を量産、終盤に村松が骨折で離脱したこともあり2年ぶりの盗塁王(42盗塁)に輝いた。さらに松中、城島、ペドロ・バルデスとともに史上初の100打点カルテットを形成した。最終的に打率.340(リーグ4位、リーグベストテンに入ったのは自身初)、27本塁打(リーグ12位)、109打点(リーグ5位)。2度目のベストナイン・ゴールデングラブ賞にも選ばれた。日本シリーズでは、打率は.231に終わったものの、本塁打を2本放ち、優秀選手に選ばれた。オフには一時ポスティングシステムでのメジャー移籍を球団から承認されていたが、小久保裕紀の読売ジャイアンツへの移籍により否認。契約更改では「中内正オーナーの経営体制が刷新した場合、もしくは高塚代行が退任した場合、自由契約の選択権は井口にある」との覚書を交わした。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た落合博満

    1月20日に千葉ロッテマリーンズと年俸1億8千万円の3年契約を結んだ。背番号6は過去に落合博満(前・中日ドラゴンズ監督)や初芝清らが着けており、「偉大な番号をいただけて、本当に光栄。この番号に恥じないプレーをする」とコメントした。石垣島での春季キャンプではダイエー時代に行っていたアーリーワーク(朝練習。メジャーでは怪我の恐れなどから禁止だった)を竹原直隆と共に敢行。開幕から4番を担い、4月7日には史上7人目となる全打順本塁打を達成。この本塁打は自身のNPB通算150本塁打でもあった。最終的に打率.281、本塁打19本を記録した。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た高須洋介

    青山学院大学では1年春からレギュラー(入学当時の主将は小久保裕紀)。同期の澤崎俊和、清水将海、倉野信次、1学年下の高須洋介らと共に全日本大学野球選手権大会優勝を始め多くの輝かしい実績を残した。個人としても、1番・遊撃手の「青い核弾頭」として大活躍し、東都大学リーグ史上唯一である三冠王や、リーグ記録となる1シーズン8本塁打などを記録。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た新庄剛志新庄 剛志

    ポストシーズンでは10月5日の前年度ワールドチャンピオン、ボストン・レッドソックスとのアメリカンリーグ・ディビジョンシリーズ(ALDS)第2戦(USセルラー)で決勝の逆転3点本塁打をデビッド・ウェルズから放つ活躍などを見せ、移籍1年目でワールドシリーズに出場。日本人選手としては新庄剛志、松井秀喜、田口壮に次ぐ4人目のワールドシリーズ出場選手となった。ワールドシリーズも制し、日本人では伊良部秀輝に次いで2人目のチャンピオンリングを獲得した(伊良部はワールドシリーズに出場しておらず、実際に出場してリングを獲得したのは井口が初めて)。しかし最後の打席後に交代し、優勝決定の瞬間はベンチにいたため、「優勝した瞬間グラウンドにいたはじめての日本人選手」は翌年の田口に譲ることになった。また、日本人で初めて日本シリーズとワールドシリーズの両方を制覇した選手となった。シーズン終了後には、両リーグから選出される新人ベストナインに二塁手部門で選出された。後にこのシーズンについて自己犠牲を強いられる役割には不満があったと語るが、ギーエン監督の「今年のMVPはイグチ。イグチほど野球を深く理解している選手はいない。彼がいたからホワイトソックスはワールドシリーズを制覇できた」という言葉で救われたという。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た高橋由伸

    島田誠コーチの助言から目標を盗塁王に定めて臨んだシーズンで、強力打線の3番に定着。プロ入り以降打率が.250を超えたことがなかったことから、確実性を高めるためにフォームをすり足打法に変えてシーズンに臨んだ。打率は.261(リーグ27位)に終わったが、史上3人目の30本塁打・40盗塁を達成し、44盗塁で盗塁王のタイトルを獲得し、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞した。この年、井口が30本塁打(リーグ12位)を記録したのに加え、小久保裕紀が44本塁打(リーグ4位)、松中が36本塁打(リーグ7位)、城島健司が31本塁打(リーグ9位)を記録し、パシフィック・リーグ初の30本カルテットを形成。日本人のみの30本カルテットはプロ野球史上初の快挙だった。11月には台湾で開催された第34回IBAF(国際野球連盟)ワールドカップ日本代表に高橋由伸、井端弘和、高校生で唯一メンバー入りした寺原隼人らと共に選出され、3番二塁手として出場した。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見たソフトバンク

    同年は3番セカンドに定着し、シーズン打率.294に対し得点圏打率は.340を記録し、リーグ2位の103打点を記録した。また、四死球112と二塁打44は共にリーグトップだった。日米通算1500安打も達成、チームは3位で終えたがクライマックスシリーズでリーグ優勝したソフトバンクを下し日本シリーズ進出に、日本シリーズでは中日を下し5年ぶりの日本一になった。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た山崎慎太郎

    3月のオープン戦で右足首を捻挫したため開幕には間に合わず、5月3日の対近鉄バファローズ4回戦(福岡ドーム)で、2番・遊撃手として初出場。1回のプロ初打席で初安打、4回の3打席目では満塁本塁打を相手先発の山崎慎太郎から放つ鮮烈なデビューを飾った。外国人選手を除き、新人選手のデビュー戦での満塁本塁打はプロ野球史上初の快挙だった。しかし順調な滑り出しとは裏腹にその後は2割台前半の低打率に苦しみ、主に下位打線で起用されるようになった。オフにはハワイ・ウインターリーグに松中らと共に派遣され、ウエストオアフ・ケーンファイアーズに所属(背番号25)した。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た寺村輝夫

    12月4日、東京都に生まれる。童話作家の寺村輝夫の次男が、友達や近所の大人を集めて野球チームを作ったが、これに寺村や長男も参加し、その後に入って来たのが井口であり、寺村は「井口君は俺が育てた」と語っていた(寺村輝夫参照)。國學院久我山高から青山学院大学へ進学。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た埼玉西武ライオンズ

    開幕から3番を任されるものの、その後は低迷し例年と同様下位打線で起用されるようになる。打率はリーグ最下位の.224に終わったものの、優勝争いの中でサヨナラ打を3度記録するなど勝負強さを発揮した。9月8日の首位攻防となる対西武ライオンズ26回戦(福岡ドーム)では西崎幸広からサヨナラ満塁本塁打を、試合前に西武が敗れマジック1で迎えた9月25日の対日本ハムファイターズ26回戦(福岡ドーム)でも金村暁から決勝本塁打を放つなど、福岡ダイエー初のリーグ優勝、日本一に大きく貢献した。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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