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    井口資仁から見たジェイク・ウエストブルック

    初打席・初三振:同上、1回裏にジェイク・ウエストブルックから空振り三振井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た高塚猛

    5試合連続の猛打賞、1試合4二塁打の日本タイ記録を達成した。開幕戦は7番で迎えたが、レギュラーシーズン途中から3番としてほぼ定着し、ダイハード打線の中心を担った。打率.340(リーグ4位)、27本塁打(リーグ12位)、109打点(リーグ5位)を記録し、OPS1.011(リーグ4位)はチームトップだった。2度目のベストナインとゴールデングラブ賞にも選ばれた。また終盤に村松有人が骨折で離脱したこともあり、2年ぶりの盗塁王(42盗塁)に輝き、松中、城島、ペドロ・バルデスと共に史上初の100打点カルテットを形成した。日本シリーズでは打率は.231に終わったものの、本塁打を2本放ち、優秀選手に選ばれた。年末には一時ポスティングシステムでのメジャー移籍を球団事務所から承認されていたが、小久保の読売ジャイアンツへの移籍により否認。契約更改では「オーナーの中内正の経営体制が刷新した場合、または高塚猛がオーナー代行を辞任した場合、自由契約の選択権は井口にある」との覚え書きを交わした。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た柴田佳主也

    初三振:同上、6回裏に柴田佳主也から井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た西沢道夫

    5試合連続猛打賞:2003年6月3日 - 6月8日 ※パシフィック・リーグ新記録、プロ野球タイ記録、西沢道夫(1954年)に次いで史上2人目井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た澤崎俊和

    その後、青山学院大学へ進学。高等学校時代に引き続いて、遊撃手としてプレーする。4年の春から4年の秋まで主将を務める。4年の時にはアメリカ合衆国で開催されたアトランタオリンピックで野球日本代表に選ばれ、銀メダル獲得に貢献。この時にキューバ代表のプレーに衝撃を受けたことが後のメジャー挑戦を意識するきっかけになった。また、 同期のチームメイトである澤崎俊和、清水将海、倉野信次などと一緒に全日本大学野球選手権大会の優勝を始め、多くの輝かしい実績を残した。個人としても、1番・遊撃手の「青い核弾頭」として活躍し、東都大学リーグ史上唯一である三冠王や、リーグ記録となる1シーズン8本塁打などを記録。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た西崎幸広

    開幕からクリーンアップや1番を任されるものの、その後は低迷し、例年と同様に下位打線で起用されるようになる。打率はリーグ最下位の.224に終わったものの、優勝争いの中でサヨナラ打を3度記録するなど、勝負強さを発揮した。9月8日の首位攻防となる対西武ライオンズ戦では西崎幸広からサヨナラ満塁本塁打を放ち、試合前に西武が敗れてマジック1で迎えた9月25日の対日本ハムファイターズ戦でも金村暁から決勝本塁打を放つなど、ダイエー初のリーグ優勝、日本シリーズ優勝に貢献した。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た国際野球連盟

    守備面では鳥越裕介に遊撃手を譲って二塁手にコンバートされ、走塁面ではコーチの島田誠の助言から目標を盗塁王に定めて臨んだ年だった。プロ入り以降、打率が.250を超えたことがなかったことから、確実性を高めるためにフォームを足を上げる打法からすり足打法に変えてレギュラーシーズンに臨んだ。同年は3番としてほぼ定着し、打率は.261(リーグ27位)に終わったが、史上3人目の30本塁打、40盗塁を達成し、44盗塁で盗塁王のタイトルを獲得し、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞した。この年、井口が30本塁打(リーグ12位)を記録したのに加え、松中が36本塁打、小久保裕紀が44本塁打、城島健司が31本塁打を記録し、パシフィック・リーグ初の30本カルテットを形成。日本人のみの30本カルテットはプロ野球史上初の快挙だった。11月には台湾で開催された第34回IBAF(国際野球連盟)ワールドカップの日本代表に高橋由伸、井端弘和や高校生で唯一メンバー入りした寺原隼人らと一緒に選ばれ、3番・二塁手として出場した。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見た東北楽天ゴールデンイーグルス

    2000本安打:2013年7月26日、対東北楽天ゴールデンイーグルス11回戦(クリネックススタジアム宮城)、6回表に田中将大から左越ソロ本塁打 ※史上5人目井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見たシアトル・マリナーズ

    4月中は32打席連続無安打になるなど、絶不調に陥ったが、4月26日の対アリゾナ・ダイヤモンドバックス戦で日本人選手史上2人目となるサヨナラ本塁打を記録。5月16日の対シアトル・マリナーズ戦ではダイエー時代のチームメイトだった城島と2004年10月1日のパ・リーグのプレーオフ第2ステージ対西武戦の第5戦以来、1313日ぶりに本塁打を競演。その後も二塁手として出場していたが、3安打を放った6月5日の対ニューヨーク・メッツ戦では走塁中に転倒して右肩を脱臼。6月6日にメジャー4年目で初の故障者リスト入りとなった。8月2日に復帰したが、脱臼した右肩の影響などで調子が上がらず、9月1日に解雇される。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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    井口資仁から見たポスティングシステム

    5試合連続の猛打賞、1試合4二塁打の日本タイ記録を達成した。開幕戦は7番で迎えたが、レギュラーシーズン途中から3番としてほぼ定着し、ダイハード打線の中心を担った。打率.340(リーグ4位)、27本塁打(リーグ12位)、109打点(リーグ5位)を記録し、OPS1.011(リーグ4位)はチームトップだった。2度目のベストナインとゴールデングラブ賞にも選ばれた。また終盤に村松有人が骨折で離脱したこともあり、2年ぶりの盗塁王(42盗塁)に輝き、松中、城島、ペドロ・バルデスと共に史上初の100打点カルテットを形成した。日本シリーズでは打率は.231に終わったものの、本塁打を2本放ち、優秀選手に選ばれた。年末には一時ポスティングシステムでのメジャー移籍を球団事務所から承認されていたが、小久保の読売ジャイアンツへの移籍により否認。契約更改では「オーナーの中内正の経営体制が刷新した場合、または高塚猛がオーナー代行を辞任した場合、自由契約の選択権は井口にある」との覚え書きを交わした。井口資仁 フレッシュアイペディアより)

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