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吉永正人から見た井崎脩五郎
吉永の言う「書く側」であった寺山修司は、吉永に対してことのほか愛情を注いだ。『優駿』に連載した騎手伝記の中ではコウジョウによる追い込み勝ちを取り上げ、「私の考えだけを言えば、吉永正人は当代随一の名騎手である。そのレースぶりには必ずドラマがある。松山調教師の個性的な馬づくりと合わせて、このコンビは武田-福永、高松-柴田と並ぶ屈指のものであり、しかも他の二者にはない競馬の翳をもっている」とし、「馬主各位。調教師各位。もっと吉永に乗るチャンスを与えてやって下さい」と公に訴えた。寺山は1983年、ミスターシービーが日本ダービーに優勝する直前に死去し、吉永がダービージョッキーとなる瞬間や、三冠達成を見ることはなかった。競馬評論家の井崎脩五郎は、菊花賞に寄せた観戦記で「あのダービーの強さを寺山さんに見せてあげたかった。ミスターシービーがシンガリからまくりきって勝ったあのダービーを見て、吉永を応援し続けた寺山さんは、なんと語っただろう」と綴り、その死を惜しんだ。(吉永正人 フレッシュアイペディアより)
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みんなのウマ倶楽部から見た井崎脩五郎
日刊スポーツもサンケイスポーツと共にフジテレビの競馬中継と非常に関係が強い時期があり、それは『スーパー競馬』の解説者として活躍した大川慶次郎が競馬評論家として晩年に所属していたことに起因する。これが縁で斎藤陽子が司会を担当していた時期には井崎脩五郎、吉田均を除くスーパー競馬出演陣(実況アナウンサー含む)の日曜メインレース予想コラムが系列会社のサンケイスポーツを差し置いて存在した。このように紙面上ではサンスポ以上に関係が深かったもののスーパー競馬の制作協力には名前を連ねておらず、この当時も現在と同じくサンスポのみであった。(みんなのウマ倶楽部 フレッシュアイペディアより)