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ハイセイコーから見た井崎脩五郎
朝日新聞のコラム『天声人語』は、「馬の名で浮かぶ時代がある」とした上で、「高度成長が終わる70年代」を象徴する競走馬として、テンポイントとともにハイセイコーを挙げている。赤木駿介は、ハイセイコーブームとは「表面的な物質享楽と、加速度的なインフレーションの谷間に落ちて」何かに飢えていた大衆が、マスコミの露骨な商業主義を感じ取りつつも、「一個の動物でしかすぎないサラブレッドに、純粋なるものを求めた」ものであり、「世相の反映であり、70年代の1つの象徴といえよう」と評している。競馬評論家の井崎脩五郎は、「1970年の3月6日に生まれ、1970年代を突っ走り、1979年の日本ダービーを自らの産駒が勝ったハイセイコーこそ、この10年の代表馬であったと、当然のことのように思い返すのではないだろうか。」と述べている。(ハイセイコー フレッシュアイペディアより)
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スシトレインから見た井崎脩五郎
前述のように、スシトレインはヒヤシンスステークスで不動の本命馬だと見なされていた。騎手の菊沢は最下位という結果に動揺し、レース直後の取材に対して、どこか故障したのではないかと心配するコメントを残した(ただしその後の検査では、馬体に故障は見当たらなかった)。競馬記者の立川敬太は『競馬フォーラム』誌で、「スシトレインの敗戦には、関係者ならずとも美浦トレセン内に衝撃が走った」と報じた。競馬評論家の井崎脩五郎は、東京中日スポーツのコラムで「なんと7頭立てのシンガリに大敗」「ハナを切れないだけであそこまで大敗するとは夢にも思わなかった」と感想を述べ、スシトレインのレース経験の乏しさを敗因に挙げた。また井崎は同コラムで、アメリカ遠征の中止について「1度の失敗くらいでガッカリすることはない」と本馬を気遣い、改めてベルモントステークスを目指してほしいと期待をかけた。(スシトレイン フレッシュアイペディアより)
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タケシバオーから見た井崎脩五郎
芝、ダート、馬場状態、負担重量、距離といった諸条件を全く問題としない万能の強さをもち、距離体系などが確立されていなかった当時にあっても、長距離3200メートルの天皇賞を勝ち、短距離1200メートルの英国フェア開催記念でレコード勝ちをするという実績は特異なものだった。『優駿』が1991年に競馬関係者へ行ったアンケートでは、「最強馬」部門でシンボリルドルフ、シンザンに次ぐ3位となった。この結果を伝えられた古山良司は「3位?そんなぽっちか(笑)」というコメントを寄せている。また講評会では、杉本清が「馬場が悪いとか、重量に殺されたとか、展開が向かなかったとか言ってるうちは、本当に強い馬とはいえないんじゃないか」と述べ、それに対して山口瞳と井崎脩五郎が「その点、タケシバオーは良かった」、「タケシバオーはそういった面で見ると1位」と応じている。また、『優駿』が1985年に読者向けに行った同様のアンケートでは7位、日本馬主協会連合会が2000年に馬主を対象に行ったものでは「一番の名馬と思う競走馬は」という設問で8位タイとなっている。(タケシバオー フレッシュアイペディアより)