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平城・相楽ニュータウンから見た京都府
平城・相楽ニュータウン(へいじょう・そうらくニュータウン)は、日本住宅公団関西支社初の大規模住宅地として平城山丘陵に開発された住宅都市。暮らしに必要な住宅団地や商業施設、学校の建設をはじめ、公園・緑地、歩行者専用道路等も整備され、快適に暮らすためのあらゆる都市機能を備えている。また、国家プロジェクト関西文化学術研究都市の住環境拠点でもあり、単に人が快適に住めるだけでなく、文化・学術・研究の中心になるのにふさわしい町を目指している。なお、ニュータウンは府県境を挟んで奈良県側の平城地区と京都府側の相楽地区に分かれており、両地区を合わせて平城・相楽ニュータウンと呼ぶ。(平城・相楽ニュータウン フレッシュアイペディアより)
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日本のダムの歴史から見た京都府
日本の電気事業は1886年(明治19年)7月の東京電燈設立を最初とし、1887年(明治20年)には日本橋周辺に電力供給を開始している。水力発電事業は1888年(明治21年)宮城県において紡績工場に電力を供給するための三居沢発電所運転開始が日本初であり、翌1890年(明治23年)には足尾銅山の精錬事業に電力を供給する間藤原動所が運転を開始する。しかし前二者は自家用であり商業用としては1892年(明治24年)に田辺朔郎が琵琶湖疏水を利用して建設した京都府の蹴上発電所が第一号であり、京都市に路面電車を走らせた。それまでの水力発電は概ね小規模に留まり、ごく簡単な取水用固定堰で事足りていた。日清・日露戦争を経て重工業の発展や一般家庭への電力供給といった電力需要の急増はより大容量での水力発電が必要となり、発電所から都市へ送電するための長距離高圧送電技術と並行して調整池を有する規模の大きなダム、特に重力式コンクリートダムを建設するようになった。(日本のダムの歴史 フレッシュアイペディアより)