-
大和三尺きゅうりから見た京都府
農文協編の『野菜園芸大百科 1 キュウリ』によると、「夏キュウリとしての土着は、明治後期から大正期へかけて、出征兵士や種苗商によって導入された支那三尺、北京、立秋にはじまる。明治35年(1902年)ごろ大阪にあった支那三尺が山間地抑制栽培に用いられて京都で笠置三尺になり、関西山間地から九州・裏日本にひろがり、奈良の大和三尺、福岡の八木山三尺、兵庫の兵庫三尺、京都の当尾三尺などを生んだ。」としている。また、野口種苗研究所も、「明治35年頃、大阪に入ってきた華北系の支那三尺胡瓜が、関西山間地の抑制栽培に用いられ、笠置三尺→大和三尺→宍粟三尺と伝わった。」と同じ説を採っている。(大和三尺きゅうり フレッシュアイペディアより)
-
-
スポンサーサイト