
中国国分から見た丹波国
この会議の結果、柴田勝家は秀吉の本拠である近江国長浜を新たに得たが、秀吉は播磨国のほか、山城国、河内国、そして光秀の旧領であった丹波国を獲得した。京都を擁する山城を領した効果は大きく、7月11日(ユリウス暦1582年7月30日)に京都山科の本圀寺に入った秀吉を公家たちは次々に訪問した。また、7月17日には山崎戦のあった天王山山頂に山崎城の普請を開始した秀吉に対して、安国寺恵瓊が早々に毛利輝元と吉川元春の使者として訪れている。毛利氏側としては領土交渉を少しでも有利に進めたかったのであろうと考えられる。(中国国分 フレッシュアイペディアより)