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川勝広綱から見た丹波国
天正7年(1579年)、川勝秀氏の嫡男として丹波に生まれた。豊臣秀吉の馬廻で、丹波国多紀郡内に200石、ついで近江国甲賀郡内に340石余を加増され、従五位下、信濃守に叙任された。後に近江国甲賀郡内の領地を、丹波国船井郡内に移された。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、父秀氏とともに西軍に与して細川幽斎が拠る丹後田辺城攻撃(田辺城の戦い)に参加した。しかし、秀氏父子は徳川家康に赦され、改易を免れた(広綱は丹波国多紀郡・船井郡内から丹波国船井郡内に転封)。慶長6年(1601年)、室町時代以来の丹波の旧族、細川三斎の推挙により召し出されて、父秀氏は旗本家を興した。(川勝広綱 フレッシュアイペディアより)
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