-
人種差別から見た軍事同盟
第二次世界大戦では人種差別を国是とするナチス・ドイツと軍事同盟を結んだが、欧州人でもキリスト教徒でもない日本人はナチスのユダヤ人迫害には非協力的だった。むしろ、満州国にユダヤ人自治州を作る河豚計画が存在し、日独伊三国同盟成立後も五相会議にてユダヤ人を迫害をしない旨をとりきめ、他の枢軸国・占領地域のようにユダヤ人迫害に協力することはなかった。そのため欧州から脱出するユダヤ人にとってソ連→満洲→米国他へのルートは重要なものとなっていた。ただし猶太人対策要綱にあるように、外交的な配慮からユダヤ人の保護に積極的に関与することは無くなっていく。杉原千畝は数千のユダヤ人にビザを発給してその生命を救ったが、これはあくまでも彼の個人的な判断によるものである。(人種差別 フレッシュアイペディアより)
-
人種差別から見たエチオピア
サハラ砂漠以南のアフリカに集中的に居住していた黒人は古代においてアラブ人やペルシア人の奴隷として扱われた時期があり、人種差別の対象であった。イスラム圏の偉大な哲学者であるイブン・ハルドゥーンでさえも黒人を差別の対象としている。ただし、預言者ムハンマドの時代以前、アラブ人諸部族が、アラビア半島で統一の国家を持つことなく、部族間の争いに明け暮れていたころ、対岸のアフリカ大陸にはエチオピアという黒人の大帝国が存在していた。エチオピアからアラブ諸族が侵略を受ける事もあれば、逆にエチオピアに保護を求める事もあった。そのためアラブ人には、黒人は文化程度の劣った人種というより、自分たちより文化水準の高い畏怖すべき人種という概念が持たれていた時代もあった。確かにアラブ諸族には黒人奴隷を所有する者もいたが、黒人はあくまで奴隷の一部であり、奴隷の大半は同じアラブ諸部族の戦争捕虜や、海賊に拉致されたり奴隷商人に買われたヨーロッパ系住民であり、いわゆる白人が奴隷にされる事も普通であった。アッバース朝時代には南イラクの大規模農業で使役していた黒人奴隷が過酷な労働環境に不満を抱き反乱を起こしている(ザンジュの乱)。なおヨーロッパからアフリカを見た用語としてブラックアフリカがある。(人種差別 フレッシュアイペディアより)
-
人種差別から見たベルベル人
ギリシア・ローマ時代を古代欧州と定義するかは、欧州懐疑論者からしばしば聞かれる疑問である。仮に含めた場合、北アフリカの属州に居住する住民を通じて一定の異人種間の交流が見られたが、属州アフリカの大多数の住民はコーカソイド系のベルベル人であって、中南部の黒人種との交流はごく限定的なものであった。古代ローマ時代のガリアやゲルマンは文明の中心地であった地中海世界や中東から離れた未開地であり、ローマ人にとって後年には北方人種と定義された風貌は蛮族の象徴のように書かれた。しかしながらいわゆる人種差別という概念は、古代ギリシア・ローマには存在しなかった。ギリシア神話では黒人のアンドロメダが美女として描写されていたし、ローマの軍人皇帝時代には皇帝候補として擁立されたアフリカ系住民もいた。(人種差別 フレッシュアイペディアより)
注目ワード
キーワード一覧