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浅利悟から見た今野泰幸
競争の激しいボランチのボジションで、J1昇格後は毎年のようにレギュラークラスの新加入選手がおり、毎年のように「浅利にとって今年は厳しい」とささやかれたが、これも毎年のように怪我人が出るといつの間にかスタメンを奪取しているという不思議な選手。特に2004年に今野泰幸が移籍加入した際には、サッカー雑誌等で予想された他のレギュラー有力候補者をおしのけて今野と一番の相性の良さを見せ、足を故障するまで先発でレギュラー出場を続けるなど存在感を見せた。しかしこの怪我もあり人生初となる手術を受け、戦線からの長期離脱を経験。また、2006年に就任したガーロ監督下では出場機会が激減するなど苦しい期間となるが、その間も常に試合への準備を怠らない姿は若い選手の模範となった。2008年に就任した城福浩監督は浅利に大きな信頼を置き、リーグ戦、ナビスコカップ、天皇杯の公式戦全46試合の全てにメンバー登録されベンチ入り、内25試合で先発出場し、ハードワークを厭わないバランサーとして職人的な活躍をみせた。(浅利悟 フレッシュアイペディアより)
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東日本大震災復興支援 2012Jリーグスペシャルマッチから見た今野泰幸
以上の選考結果に基づき、7月6日に出場選手46名(うちサポーター投票選手11名)が発表された。なお、サポーター投票でDF部門2位の酒井宏樹(柏レイソル)はロンドンオリンピック日本代表に選ばれたため今回の選出対象とならず、DF部門4位の今野泰幸(ガンバ大阪)が繰り上げで「サポーター投票選手」として選出された。(東日本大震災復興支援 2012Jリーグスペシャルマッチ フレッシュアイペディアより)
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東北人魂を持つJ選手の会から見た今野泰幸
発起人は出身地の全国地方公共団体コード順に、柴崎岳(青森県)、小笠原満男(岩手県)、熊林親吾(秋田県)、今野泰幸(宮城県)、秋葉勝(山形県)、茂木弘人(福島県)の6人。(東北人魂を持つJ選手の会 フレッシュアイペディアより)