-
安藤元雄から見たル・モンド
1996年(平成8年、62歳) 2月、日本近代文学館の企画「声のライブラリー」(第四回)に、中村真一郎、荻野アンナとともに出席、自作を朗読し、鼎談に加わる。雑誌「るしおる」に長詩「樹下」の連載を開始。學燈社の「日本名詩集成」に堀口大學と入沢康夫の作品鑑賞を執筆。この年から土井晩翠賞の選考委員となる。9月から翌年1月まで、明治大学の短期在外研究員として妻とともにパリに滞在、十七区に住む。パリ市立図書館でのネルヴァル展を見る。ル・モンド紙の元東京特派員ロベール・ギランに会う。ヴェネツィア、フィレンツェを再訪したほか、ディジョン、ナミュール、南仏などを旅行、グラックを再訪。(安藤元雄 フレッシュアイペディアより)
-
センター・フォー・パブリック・インテグリティから見たル・モンド
2013年、調査ジャーナリスト国際連合(ICIJ)はオフショア銀行秘密口座の所有権に関する260ギガバイトのデータに基づいて、15ヶ月に渡る調査結果を公表した。このデータはジェラルド・ライルが、ファイアーパワー社のスキャンダルの調査の結果取得したものである。ICIJはオフショア銀行の調査連載を製作するために、ガーディアンやBBC、ル・モンドやワシントン・ポスト、スイスのソンタグ・ツァイトゥングや南ドイツ新聞、北ドイツ放送、朝日新聞と提携した。ICIJと提携報道機関は所有権情報を使って、世界中の政府の汚職や富裕層の租税回避の仕組み、ポンジ・スキームに使われた秘密オフショア口座や秘密化を促進する主要銀行の積極的な役割、それらの活動を可能にする戦略や行為者を報道した。2014年前半、ICIJは「オフショア・リーク」の一部を発表し、中国の政治的・財政的エリートの親類縁者が蓄財するためにオフショアのタックス・ヘイブンを使っていることを報じた。また秘密口座の中には日本の丸紅や東北電力の口座も含まれていると言う。(センター・フォー・パブリック・インテグリティ フレッシュアイペディアより)
-
モーリス・ブランショから見たル・モンド
晩年になるにつれ次第に著作の発表が間遠になったが、それでも執筆は続けられた。1994年には、自らが銃殺されかかった体験を簡潔かつ慎重な文体によって記した小説『私の死の瞬間』を発表して反響を呼ぶ(ジャック・デリダの『滞留』は、この小説に触発されたデリダ自身の講演をもとにしている)。これ以降のブランショの著作はどれも評論、論考であった。2003年、95歳で死去。フランスでは新聞各紙が大きく取り上げ、デリダは墓地でのブランショの葬儀に際して参列者を前に弔辞を読んでいる。死去発表の4日後に「ル・モンド」紙に掲載された、アメリカの対イラク戦争に反対する市民活動「Not in our name(我々の名において為すな)」のアピールにはブランショの署名も記されていた。(モーリス・ブランショ フレッシュアイペディアより)