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  • 万延小判

    万延小判から見た物価物価

    これにより新小判に対する安政一分銀一両の金銀比価は、ほぼ国際水準である15.8:1となった。新小判の発行に先立ち、安政7年1月(1860年2月頃)に既存の小判は含有金量に応じて増歩通用とされることとなり、保字小判一枚は三両一分二朱、正字小判一枚は二両二分三朱通用となった。このため江戸では三倍もの額面の新小判に交換される旧貨幣を所持する者が群衆となって両替商へ殺到し大混乱に陥る騒ぎとなった。これは激しいインフレーションを意味し、物価は乱高下しながらも、激しい上昇に見舞われた。また新小判でさえ鋳造量は少数にとどまり、実際に通貨の主導権を制したのは、さらに一両当りの含有金量が低く、鋳造量が圧倒的に多い万延二分判であった。一両当りの含有金量としては慶長小判の約11.4分の一に低下したことになる。このため幕末期の商品価格表示は流通の少ない小判の代わりに有合せの二分判および二朱判などを直立てとする「有合建(ありあいだて)」が行われるに至った。万延小判 フレッシュアイペディアより)

  • 南鐐二朱銀

    南鐐二朱銀から見た物価物価

    一方、丁銀から南鐐二朱銀への改鋳が進行するにつれ、市中における秤量銀貨の不足により銀相場の高騰を招き、天明6年(1786年)には金1両=銀50匁をつけるに至った。この様な銀相場の高騰は江戸の物価高につながるため、田沼意次の政治を批判する立場であった松平定信を中心に進められた、寛政の改革の一環として、天明8年4月(1788年)に南鐐二朱銀の鋳造を中断し、南鐐二朱銀から丁銀への改鋳が進行した。南鐐二朱銀 フレッシュアイペディアより)

  • 幕末の通貨問題

    幕末の通貨問題から見た物価物価

    これは激しいインフレーションを意味し、物価は乱高下しながらも、激しい上昇に見舞われた。また新小判でさえ鋳造量は少数にとどまり、実際に通貨の主導権を制したのは、さらに一両当りの含有金量が低く、鋳造量が圧倒的に多い万延二分判であった。一両当りの含有金量としては慶長小判の約11.4分の一に低下したことになる。このため幕末期の商品価格表示は流通の少ない小判の代わりに有合せの二分判および二朱判などを直立てとする「有合建(ありあいだて)」が行われるに至った。幕末の通貨問題 フレッシュアイペディアより)

  • ぼったくり

    ぼったくりから見た物価物価

    日本人観光客などは、店員が最初に告げた価格が、日本における一般的な物価(日本円)と比較して安い場合、ぼったくりを気にせず購入することも多いが、その価格は市価の数倍から数十倍にもなることがある。こうした無知が、現地価格を吊り上げている場合が多い。ぼったくり フレッシュアイペディアより)

  • 実質経済成長率

    実質経済成長率から見た物価物価

    名目GDP=実質GDPXGDPデフレーター(物価)実質経済成長率 フレッシュアイペディアより)

  • 昭和恐慌

    昭和恐慌から見た物価物価

    このような状況下で成立した立憲民政党の濱口雄幸内閣は、「金解禁・財政緊縮・非募債と減債」と「対支外交刷新・軍縮促進・米英協調外交」を掲げて登場、金本位制の復帰を決断し、日本製品の国際競争力を高めるために、物価引き下げ策を採用し、市場にデフレ圧力を加えることで産業合理化を促し、高コストと高賃金の問題を解決しようとした。これは多くの中小企業に痛みを強いる改革であった。浜口内閣の井上準之助蔵相は、徹底した緊縮財政政策を進める一方で正貨を蓄え、金輸出解禁を行うことによって外国為替相場の安定と経済界の抜本的整理を図った。昭和恐慌 フレッシュアイペディアより)

  • 円相場

    円相場から見た物価物価

    為替相場が円高になると、日本国外からの原材料や食料品、石油などの輸入品が値下がりするので、物価が下がる。物価の下落は金利の低下に繋がるので、為替相場の円高は金利の低下に繋がる。円相場 フレッシュアイペディアより)

  • 良いデフレ論争

    良いデフレ論争から見た物価物価

    良いデフレ論争(よいデフレろんそう)とは、1990年代に入ってから日本の物価上昇率が低下し、1999年頃以降は消費者物価の下落基調が続くというデフレーションに陥ったことに関して起こった論争。良いデフレ論争 フレッシュアイペディアより)

  • 石淵ダム

    石淵ダムから見た物価物価

    水没予定地の住民に対する補償交渉は1950年(昭和25年)10月に妥結された。しかし当時の日本の経済状況は急激なインフレーションの中にあり物価上昇が著しく、最初は高額であった補償金はインフレーションによる物価変動で貨幣価値が激減し住民が満足できる妥結内容ではなくなった。さらに移転後の住民に対する生活再建対策も放置され、結果的にわずかな補償金しか受け取れなかった移転住民は失業の上困窮した生活を強いられ、全財産を喪失した住民も現れた。加えて工事中の住民安全対策も十分ではなく、岩石発破の度に小学校では発破の爆音や振動を恐れた児童たちが机の下へ隠れ、遂には発破によって飛来した岩石が地元女性に直撃して死亡するという事故も発生した。こうした移転住民・地元住民の苦難に対する建設省の報恩意識は欠如しており、1950年秋に行われた定礎式には地元住民が全く招かれず、完成を記念して製作された記録映画にも移転住民への感謝の言葉が一言も挿入されなかった。わずかな補償金では生活が困窮する住民たちは再補償を国に求めたが、最終的に再補償は認められなかった。石淵ダム フレッシュアイペディアより)

  • 為替レート

    為替レートから見た物価物価

    現在の為替レートで各国の賃金水準などを比較した場合に、大きな差が出る場合がある。例えば日本は一人当たりGDPが37000ドル程度であるが、ベトナムはおよそ500ドルである。これを単純比較すると日本の賃金水準が70倍程度高いことになるが、ベトナムは日本よりも物価が安いため、所得が低いからといって購買できる量に 70倍もの差がつくわけではない。こうした実情を踏まえ、物価を考慮した購買力平価で調整した後の一人当たりGDPは日本が30000ドル、ベトナムが3000ドル程度となり、その差は10倍程度になる。為替レートがこのような物価差を反映しないのは、経済構造と貿易に関係している。為替レート フレッシュアイペディアより)

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